欧州におけるセンサーテクノロジーやセンシングの技術実装の現状を視察する目的でスペインのバルセロナを訪れている。

 真新しい展示会場にもかかわらず、そこには、この街と人々が長い歴史の中で建築や空間設計において強く意識して来た「光と影」の発想やアイデアが数多く施されていると感じた。展示会場は時に明るく、時に陰影を持つ美しい独自の空間構成を出現させている。

 連日の展示会の合間を縫って、この海辺の歴史的な都市の巷を散策していると、いつしかこの街に愛着を感じる人々の心の底を流れる情感や、都市に漂うデザインの感性の元になっていると思われる感覚の共感に繋がる様な意識が自然と自分の中にも芽生え始めている事に気づいた。

 ガウディが不可思議とも言えるデザインへのこだわりを訴求したサグラダファミリアから、悠久の歴史を讃えた古色蒼然たるカテドラル周りの小さな細い路地裏まで、この街に培われた「光と影」のオーケストレーションは昼夜の差分無く、そして場所を選ぶ事無く其処此所に止まる事のない音楽の様に流れ続けているように感じられる。

 この異国の街を歩きながら、自分が毎日の暮らしの中で意外にも周囲の空間に対して、ほとんどと言ってよい程、強い意識や頓着を持たないままに生きて来たという事が気になってきた。

 多くの人々が旅をし、ホテルに投宿すれば、時に室内を漂う匂いが気になり、なかなか自分に即さない温度や空調が急に気になり始める。その時、自分の脳裏に「処変われば感覚も変わる」という新たなセンシングデザインの気づきにも思えるひらめきがよぎった。

 ホテルに戻ってから自分の泊まっている部屋の温度を改めて探ってみる。彼方此方、部屋の場所によって室温に微妙な差分を感じる自分がいた。気にかけ始めるとバスルーム、クローゼットと、ふとした場所の違いで温度が異なる事を意識出来る。

 普段ならたかが「部屋の室温」と簡単に言ってのける細かな事だが、その眼差しの面白さに気づき始めた事が引き金となり、身の回りのいろいろな温度の事が気になり始める。

 私達人間の温度はどうだろうか? 改めて考え直してみると自分の身体でも彼方此方の体温が違いそうだ。確かに身体の中でも冷え易い場所もあれば、いつも体温が高い場所もある。普段は気にならなくとも,風邪を引いたり、旅客機で寝付けなかったりすると殊更に気になり始めて意識する事はよくある。

 こうして振り返ると私自身、長くつきあって来た自分自身の事であっても実はよく分かっていないことが数々ある。物事には暗黙値の様に薄々分かっている事もあれば、予期しない事に驚かされる事もある。センサーの使い方やセンシングの方法の選択によってはそれまで潜在化し、気づけていなかった多くの価値ある情報が見出せるにちがいない。

 かつてミクロの世界に目を投じた映画がヒットしたが、センシングもこの例外ではない。見えないものを可視化すると其処まで意識もしていなかった思いが目を覚ます。

 未だ見ぬ可能性は、研究室や会議の中に見出せる事はなく、身近な毎日の暮らしのほんの小さな出来事の中にこそある。