2007年7月から2010年3月まで日経 xTECHの前身サイトの1つ「Tech-On!」で仲森智博編集委員(当時、現・日経BP総研 未来研究所 所長)が執筆したコラム「思索の副作用 」から今でも人気の高い5本を選んで再掲載しました。

 「技術力には自信があるんだけど、どうもカネ儲けがヘタでねぇ」

 メーカー在籍時代、さらには記者として多くのメーカーで経営者や技術者にお話をうかがうたびに、耳にタコができるほど聞いたフレーズである。文字で書けば自嘲、反省の弁ともとれるが、実際に生でうかがうとそうでもない。ほとんどの場合、笑顔で、ときに誇らしげに語られるのである。

 私も多少は常識をわきまえた社会人なので、そのような場面に遭遇すれば微妙な笑顔で「そうですかぁ」などとあいまいに受け流す。だが、責任ある立場の人からこのような発言が飛び出すと、かつて技術者であった私はそのたびにイラっとしたものだ。発言は「技術者は頑張っていい技術を開発してくれるけど、会社はその成果を利益に結びつけることができない」ことを白状したもので、誇らしげにそれを言うということは「それに関して責任はぜんぜん感じていない」ということだろう。少なくとも私には、そう聞こえてしまうのだ。技術者に限ったことではないけれど、努力して成果を出した人がちっとも報われないシステムというのは、何ともやりきれないものである。

ついに売られてしまうのか

 「それはイカンぞ」という、いっぱし義憤みたいなものがずっと心の隅にあった。で、どうするか。カネ儲けもちゃんとできるようにならなきゃならない。そうか、技術経営か、という思いが、かつて手掛けた「日経BizTech」という雑誌の創刊へとつながっていったのだと思う。そんなわけで、その創刊案内パンフレットにも冒頭の話を書いた。「技術があるのに儲からない」ということは、「いい食材はふんだんにあるのにろくな料理が作れない」ということと同じ。それはマズいから、新雑誌では技術を価値に昇華させる手段を真面目に議論していきます、と宣言したのである。

 それもすっかり過去の話になってしまったが、それを改めて思い出させてくれる事件が最近あった。沖電気工業(OKI)が半導体部門を分離、子会社化し、その株式の大部分をロームに譲渡する計画であることを発表したのだ。先に「メーカー在籍時代」と書いたけど、そのメーカーとはOKIのことで、「技術力には自信があるのだが・・・」というフレーズを私の脳裏にしっかり刻み付けてくれた思い出深い場所である。そこの技術者に会えば、ようやく流行らなくなってきたそのフレーズがいまでも聞けるという、貴重な会社でもある。

 とにもかくにも、OKIは私にとっては「母校」である。実際にいたのは基盤技術研究所というところだったが、やっていたことは半導体と実に関連が深く、しかも研究所は半導体事業の主拠点と同一敷地にあった。そんなわけで、この会社の半導体事業に関わっている知人は多い。彼らの顔が、このニュースを聞くや脳裏をかすめた。あいつら、これからどうなるんだろうと。

絶好調だった半導体部門

 わたしがその会社にいたころにも、「独立会社にした方がいいよね」などという話をよく耳にした。けれども、理由は今回とまったく違う。

 入社当時、日本の半導体はまさに絶頂期を迎えつつあった。主力商品の64KビットDRAMは注文殺到で値段が急騰、それでも作るはじから売れ、新人研修では半導体の営業担当者が「注文を上手に断るのが営業の仕事」などと放言するご時勢だった。ところが、絶好調の半導体部門にひきかえ、他部門はどうもさえない。そんな状況下、「自分たちが一生懸命稼いでも他部門に吸い取られるだけ。いっそ独立子会社化してもらって、自分たちの稼ぎは自分たちで使えるようにしよう。半導体はこれから先、もっともっとよくなりそうだし」といった声がどこからともなく上がり始めたのである。もちろん、現場社員のぼやきといったレベルではあるのだが。

 絶頂期には圧倒的な世界シェアを誇った日本製半導体とそのメーカーが、その後どのような経緯をたどったかは、読者のみなさまがご存知の通りである。OKIに関して言えば、そもそも企業規模も事業規模も大手に比べれば中途半端で、そのために巨額の開発投資と設備投資に耐えられず、まずは最先端プロセスを使うメモリ事業から撤退し、ついに今回、半導体事業そのものを手放す決断をしたと伝えられる。

日立がやるからウチもやる

 かつては人気抜群の花形職場で、収益の柱、将来を担う期待の星だった半導体の事業部署が、なぜここまでダメになったのか。改めて考えてみる気になり、その手始めにと一般的にはどんな解釈がされているのかを調べてみた。

 そこでわかったのは、多くの論評で、先にも触れた「規模の問題」を取り上げているということである。半導体事業は開発投資や設備投資にやたらカネがかかる。だから、業界のトップ10にも入れないOKIがこの事業を続けていくのはそもそも無理なのだと。

 確かに、OKIには昔から「身の程知らず」的な傾向があったような気がする。私がOKIに入社した1984年当時は、電電四社(旧電電公社に製品を納入する大手通信機器メーカー4社)という言葉がまだ現役で、現に「OKIのライバルであり友人でもあるのはNEC、日立製作所、富士通の3社である」と新人研修でも教えられた。そして、「この4社が手掛ける事業はすべてOKIもやらねばならぬ」と信じていたようだ。一時は他の3社に負けじとメインフレーム事業までやっていたのである。

 けど、OKIと他の3社では企業規模も売上高もぜんぜん違う。可能な開発投資、設備投資の額が歴然と違うのである。でも、彼らがやるならうちもやる。当然、「何をやってもシェアは大抵3社より下」という構造ができあがる。半導体に限らず、多くの事業がこじんまりとして何だか中途半端だったのではないかと思うのである。

 それでも、事業参入当初は結構頑張っていたりする。確か、パソコンなども80年代前半は健闘していて、if(アイエフ)シリーズがシェアで上位にいたような時代もあった。半導体も『日経エレクトロニクス』のバックナンバーで調べてみると、1984年時点での生産高ランキングでは国内8位で、年間66%の伸びで7位をうかがう勢いだったようだ。ちなみに、ソニーやシャープより上位である。けど、パソコンもそうだけど、手掛けるのは早く創成期にはそこそこの位置を占めるのだが、参入メーカーが増え競争が激化してくるとじりじり順位を下げいき、ついには事業的にうまみのないポジションまで落ちてしまう。それがお決まりのパターンだったようだ。

任されて、やがて捨てられて

 これにも関連するかもしれないけれど、企業文化の問題を不振の要因として挙げている記事もかなりある。旧電電四社的な「親方日の丸」の体質が抜けきれないということだろう。確かに、私がいたころは、「おっとりして人がいい」という社風が濃厚に漂っていたような気がする。

 やはり新人研修を受けていたころ、各事業所を見学して回るという企画があった。その際、埼玉県にある某事業所にも行ったのだが、そこの生産ラインで大量に流れていたのは、A社のロゴが誇らしげに輝くファクスだったのである。そこで初めて「OEM」という商形態について学んだわけだが、A社もOEMに頼りながら市場を開拓し、同時に関連技術も吸収し学んでいったようだ。やがて自社設計、自社製造に乗り出し、数年後にはすべてを自社で設計、製造することになったのだという。これによって某事業所は、大きな収入源を失った。

 そのまた数年後に、研究所で同期だった友人がA社に転職した。そこで、OKI出身の技術者がファクスの開発・設計に従事しているのを目撃し、「ああ、そういうことだったのか」と納得したのだという。同じようなことが、研究所でもかつてあったと先輩から聞いた。某AV機器メーカーが本格的に半導体製造に乗り出す際に、研究所の半導体技術関連の研究室からごっそり人を引き抜いたことがあるらしい。まずは研究室長を勧誘し、その室長が「使える」室員をピックアップして一網打尽に移籍させたのだという。そのメーカーが半導体事業で成功したのは優秀なOKI社員のおかげ、というのが話のオチである。

やっぱり任され、捨てられて

 そんな脇の甘さというか大らかさというか、それも長年の荒波に揉まれ随分変わっただろうと思っていたら、現在もOKIの半導体部門で奮戦している友人からこんなメールが来た。これから「親」になるロームに関してなのだが、彼の周囲では「仕事で付き合っても、こちらからの情報は出て行くだけで先方からは何も出てこない」という企業イメージが流布されており、これがOKIの社員的にはあまり歓迎されていないらしい。

 実際にこんなことがあったのだという。ロームからの注文で、ある製品の製造を受託していた。当然、監査や認定ということで様々な情報が発注元に流れる。それを基に同社は技術を習得し、製造装置を自社開発して自社製造に切り替えてしまった。そのことで大きな収入源を失ったということが、担当者たちが悪印象を抱く要因になっているようだ。かつて何度も聞いたような話である。推測するに、20年前から社風はあまり変わっていないようだ。

 ただ、「自分達はほかとはちがうのかも」という自覚は芽生え始めているらしい。友人によれば、某事業の譲渡を受け、引っ越してきた外資系半導体メーカー出身の技術部隊がいるのだが、彼らは明らかにOKIの社員とは考え方が違うのだという。一貫して「ビジネス上良いと判断されることについては社内ルールなどクソ食らえ」という態度で、それはOKI社内にいる人間にとっては信じられないことだとか。その「外人部隊」の方たちも違いについて気付いているようで、「なぜOKIでは、何かを変えようとすることがこれほど大変なのか。危機感はないし、外の世界も知らないし」とこぼしているらしい。

平均年収は40.4歳で677万円

 こうして挙げていくと、「ああそれそれ、それこそが敗因」と思わなくもない。で、「どう?」と別のメーカーに勤務する知人に意見を聞いてみたら「まあ、そうかもしれんけど、企業文化のゆるさとか、程度の差はあっても多くの老舗エレクトロニクス・メーカーが抱える共通の問題なんじゃない?」などとおっしゃる。「規模の問題にしても、OKI固有の問題ではないでしょ?韓国の半導体メーカーなんて、最初はOKIなんかよりぜんぜん小さな規模だったのに、次々と日本メーカーを抜いていった。規模が小さいなら小さいなりに、ファブレスで生きるという方法だってあるし」と。

 そうかぁ、原因はもっと違うところにあるのかもしれないなぁ。ということで、振り出しにもどって考えてみた。OKIの突出した特徴とはなにか、それは不振の根本原因となり得るか。そう考えていって、その果てにたどりついた結論が「給料」だった。

 まず、「これこそOKIならではの問題」と言えるかどうかを改めて調べてみる。『Yahoo!ファイナンス』によれば、OKIの平均年収は、677万円(平均年齢40.4歳)である。これに対して、これから「親」となるロームは705万円(同35.7歳)だから、平均年齢は5歳も上なのに年収は平均で30万円も安いことになる。次いで、新人時代に「ライバル」と教えられた旧電電4社について調べてみた。NECは平均年収748万円(平均年齢39.6歳)、日立製作所は同745万円(同40.0歳)、富士通は同793万円(同40.3歳)。平均年齢はほぼ同じだが、金額は完敗である。

 ひょっとしたら比べる相手が巨大企業だから差が出るのかもと、NECとかより規模の小さな企業を調べてみた。たとえばオムロンは790万円(同40.2歳)、横河電機は884万円(同43.1歳)。うーん、もっと差がついてしまった。そうか、調子のいい企業と比べるからいけないのだと、不振が伝えられるメーカーをいろいろ探してみた結果、やっと同水準で業態が近いメーカーを見つけることができた。岩崎通信機の675万円(同42.3歳)である。過去5年の実績を調べてみると、同社の売り上げはここ5年間で約2割も減り、赤字の年も目立つ。直近の2008年3月期決算では純利益で黒字となっているが、これは厚生施設などの売却益によるものらしく、経常利益ではやはり赤字となっている。

20年以上埋まらなかった格差

 OKIと同水準の会社も、探せばあることはある。けど、業界水準と比較すれば「給料が安い会社」と言っても間違いはなさそうだ。しかも、それは何も今に始まったことではない。20数年前、私がOKIに入社したころから社員はみな「うちは給料が安いから」と自覚し、社外の人からもよく「OKIさんは給料が・・・」と指摘されていたことである。私は入社するまで知らなかったけど。

 80年代当時、賃上げ幅は春闘によって決まっていたのだが、OKIなど大手エレクトロニクス・メーカーは電機労連に属しており、横並びになっていた。ところが、私の入社前にOKIは赤字に転落した経験があり、その危機は事業所の土地などを盛大に売って切り抜けたものの、その何年間かは給料が上がらなかったらしい。業績は回復し給料は再び上がるようになったが、電機労連の横並びが逆に足かせとなり「過去に赤字で賃上げが滞った分は利益が上がったときに他を上回る賃上げで取りもどす」ということがなかなかできなかった。つまり、過去のキズは何年経っても癒えず、格差はいつまでたっても埋まらないという状況だったのである。

 この、少なくとも80年代から続く「同業他社より給料が安い」ということが、会社にじわじわとダメージを与えてきたのではないかと私は思う。一般に、業績が悪くなれば給料を抑える。それが一時的なものであればいいけれど、給料格差がいつまでも埋まらなければ、優秀な人材は来なくなる。現にいる社員も、腕に覚えのある人から歯が抜けるようにいなくなっていくだろう。この結果、さらに業績は悪くなり、経営者はさらなる給与抑制に走る。まさに悪循環である。

 ふと思う。業績が給与を決めるのではなく、逆に給与が業績を決めるのではないかと。この疑問をあるベンチャー企業の創業社長にぶつけてみると「うーん、そうかもしれない。確かに、給料を抑えすぎたから会社が潰れたって話はよく聞くけど、給料が高すぎて潰れたっていう話は聞かないもんなぁ」などとおっしゃる。

 思い出してみれば、電機労連でも横並びを避け他社より常に高い賃上率を提示していたメーカー群があった。まず、松下電器産業、シャープなどの関西勢であり、関東ではその代表はソニーだった。その他のOKIやNEC、日立製作所などはそれより低率の横並び組である。エレクトロニクス業界全体に沈滞ムードが漂うなか、それでも高い賃上率を誇っていた企業はおおむね元気で、そうではない企業はそれなり、という気がしないでもない。

深刻なのは技術系より非技術系?

 そもそも、80年代から製造業の給与は金融などと比べて低く、その製造業の中でもエレクトロニクス業界はさほど給与水準が高くないとされ、他業種の「草刈場」となっていた。実際、1980年代後半、実に多くの企業から給料をエサに転職のお誘いを受けた。誘うのは化学、精密機械、光学機器、鉄鋼などの国内メーカー、そして外資系のエレクトロニクス・メーカーである。何社からか給与の説明なども受けたが、「該当年次の平均的給与を提示すれば国内エレクトロニクス・メーカーの給料よりは何割か高くなるから誘いやすい」とよく言われたものだ。

 1988年7月11日号の『日経エレクトロニクス』では、「転換期の電子技術者」と題した特集でこのへんの事情について分析している。金融・証券などの会社に比べて35歳の推定年収が製造業は半分程度だとか、その中でも電気系は低いとか、その結果として製造業離れが進んでいるとか、今日でも言われ続けている問題がすべでこの時点では明白になっていたことがわかる。

 この記事に関して、著者であり上司でもあった日経エレクトロニクス編集長(当時)の西村吉雄氏に話をうかがったことがある。そのとき彼が大きな問題だと指摘したのは、東大をはじめとした「難関校」の学生で、全体より顕著に製造業離れが進んでいることである。つまり、優秀な人ほどメーカーに行かなくなっているのだと彼はいう。そして、それより深刻なのは文系の製造業離れかもしれないと漏らしておられた。

 どんなに給料に格差があっても、「理系に進んだからにはメーカーに行きたい」という人は相当数残るだろう。けれど、たとえば営業職を希望する人が、給料が高い金融とか商社とかを除けて、わざわざ給料の安いメーカーを志望するだろうか。西村氏の考えは「否」だった。この結果として、メーカーの経営部門を含む非技術系部門が、技術系部門を上回る勢いで弱体化していくのではないかと懸念していたのである。もちろん、その影響を他より激しく受けるのは、同じ業界にあっても給与水準が他より低いメーカーである。

いないから技術者に学ばせる

 あ、そうかと気付いた。「技術力には自信があるんだけど、どうもカネ儲けがヘタでねぇ」という嘆きはそれだったのかもしれない。技術系部門は優秀でパワフルだけど、マーケティングや製品企画、宣伝広告、営業、そして投資の規模や時期を判断する経営部門などの非技術系部門がどうも弱い。だから利益を上げられないのではないか。そうだとすれば、西村氏の懸念は20年を経て深刻な現実となったことになる。

 そう考えると数年前、MOT(技術経営)が日本的に解釈され、広められたのも必然といえる。それはアメリカで実践されたものを時間差で模倣したものだが、一つ大きく違うと感じるのは、米国では経営学の一専門分野として技術立脚型企業独特の問題を盛り込んだ専門的な経営知識体系を構築して経営学を志す人にこれを学ばせようとする動きが主流だったのに対し、日本では主に技術者に経営的センスを身に付けさせようとしたことだ。つまり、経営を含む非技術部門の弱体化を技術者のジョブチェンジによって補おうとしたのではないか。

 けれど、そのプチブームによって「カネ儲け」がうまくなったとも思えないし、技術経営への理解が急に進んだとも思えない。「長期的視野に立ち、熟慮のうえで洗練された戦略を立案し、その戦略に沿った戦術や運用方法、組織体系を同時に定め、一度基本戦略を決めたらそれをねばり強く粛々と実践する」という教科書的な教えは忌避され、思いつきと狡猾さでもって短期的利益の確保に奔走するような風潮が蔓延してしまったのではと、残念に感じることがしばしばだ。

 それもこれも、問題の根源をたどれば回りまわって「給料が安い」というところにつながっていくのではないかと疑っているのである。多くの人が「これこそ諸悪の根源」と思えるほど説得力のある問題とも思えないかもしれない。けど、ときの成長産業が何かによって大きく揺れ動く大学の学部や学科の人気、就職希望企業ランキングの変動ぶりなどをみていると、あながち無視できる問題とは思えない。しかも、20年以上の年月を経ても解消されず、長い年月をかけて「効き続けてきた」作用である。それが蓄積して、相当に大きな作用をおよぼしているとしても不思議ではない。

本当に技術力はあるのか

 ただ、「それだけか?」との疑いも捨て切れない。改めて「技術力には自信があるんだけど、どうもカネ儲けがヘタでねぇ」というセリフを吟味してみて、これまで疑ってこなかった前半部分はどうなのよ、と思うのである。つまり、「技術力は」と胸を張って言えるほどの技術優位性が、本当にあるのかということだ。

 OKI在籍中、先輩たちから「企業規模は確かに大きくない。けど、技術力は大したものなのだ」といった趣旨の訓示を何度も聞かされた。それが刷り込まれているせいか、OKIの現役技術者と話をしていると、今でも同じような発言を折々に聞く。試しにと先日、そんな話が飛び出した瞬間を逃さず、記者根性丸出しで突っ込んでみた。

「ところで、技術力って、どうやって測定してるの?」
「それは製品のレベルとか学会発表とか特許とか、指標はいろいろあるんじゃない?」
「そうだとして、どこと比べたときOKIはすごいの?」
「いや、ええっと・・・」
「日立よりすごい?」
「うーん・・・」
「NECよりすごい?」
「・・・・・・」
「サムスンよりすごい?」
「・・・・・・」
「米国企業には負けない?欧州企業には?」
「いや、そう言われてもよくわからないなあ、でも技術力はあるんだよ、きっと。まあ、自分たちで言ってるだけでなく、取引先なんかも『OKIさんの技術は大したものだから』なんて言ってくれるし」

 「それってリップサービスっていうやつなんじゃない?」とノドまで出かかったのだけど、「旧交をあたためる」という集まりの趣旨から大きく逸脱しそうなので思いとどまった。それより何より、「親」が変わるという局面に彼らは身を置くわけである。ここで私なんかが聞かなくとも、それを自ら問い掛ける機会がきっとくるだろう。それも、そう遠くなく。そのころを見計らって、また同じ質問をぶつけてみようと思う。