ボロハイドライドは,NaBH4の化学式で表される水素貯蔵材料。「水素化ホウ素ナトリウム」または「SBH(sodium borohydride)」とも呼ぶ。水と反応する加水分解によって水素を発生する。反応式は以下の通り。
NaBH4 + 2H2O → 4H2 + NaBO2
この加水分解反応の反応性は極めて高く,常温で簡単に進む。水素貯蔵材料というよりは水素発生材料といった方があっているとも言われる。このため,ボロハイドライドそのままでは空気中の水分と反応してしまうために,アルカリ水溶液に溶かすなどの方法によって安定化させて保存する。つまり液体状の燃料である。安定化したNaBH4から水素を発生させるには触媒を使う。触媒には水素吸蔵合金や酸などが使われる。
原料は安価なホウ砂
NaBH4の原料はホウ砂(Na2B4O7)である。ホウ砂はロシア,トルコ,米国,アルゼンチンなどに天然に大量に存在する安価な天然資源だ。ここから二酸化ホウ素ナトリウム(NaBO2)を誘導し,水素化してNaBH4を得る。ホウ砂そのものは,数円/kg程度と安価である。このため現在は試薬として売られているので5000円/kgと高価だが,大量生産されれば200円/kg程度まで安価になると期待されている。また,反応後に生成されるNaBO2をリサイクルして再びNaBH4に戻す技術も開発されている。
用途としては,自動車やパソコンなど向けに燃料電池の水素貯蔵材料としてボロハイドライドを使う検討が始まっている。他の液体燃料と同様にエネルギー密度が高く,簡単な触媒で,高い水素発生速度で反応が進むためである。
安全性面では,引火性はないものの,毒性などのデータについては検討中である。メタノールについては,国際民間航空機関(ICAO)の審議により,2007年1月1日から航空機への持ち込みが承認されたが,ボロハイドライドについてはまだ審議中である。
燃料電池向けの水素貯蔵材料としてNaBH4を古くから検討していたのが,日本では工学院大学・水素エネルギー研究所(本社東京)のグループ,米国ではMillennium Cell社である。 最近では,この2社に続いて,セイコーインスツル,米Medis Technologies社が実用化に向けて検討を始め,携帯電子機器向けの市場を立ち上げようとしている。
水素エネ研,水素貯蔵とダイレクトの両面で開発
水素エネルギー研究所は,ボロハイドライドを水素貯蔵として使う方法とダイレクトに燃料として使う手法の両面で開発を進めている。
第一の燃料貯蔵として使う方法では,水素発生の触媒としてフッ化水素吸蔵合金を使う。これにより,水素発生のスピードを上げることができたという。数Lの反応容器を使ったこれまでの実験では800L/分という値を得ている。この値は,自動車メーカーが要求する起動性のスペックを満たしている。反応は常温・常圧で進む。ただし,自動車メーカーは,現状ではボロハイドライドを使った貯蔵タンクについて候補の一つとはしているものの慎重な姿勢のようだ。
【図1】ボロハイドライドを燃料に使う可搬型燃料電池でテレビを稼動(水素エネルギー研究所)(クリックで拡大図を表示)
そこで水素エネルギー研究所は,可搬型でパソコンや携帯電子機器向けの用途が有望だと見て用途開拓を進めている。同研究所の須田精二郎氏は,2005年11月9日に開催されたセミナー「水素エネルギー時代を支える計測技術」において,ボロハイドライドを利用した可搬型の燃料電池を披露し,実際に発電させてDVDプレーヤの映像をテレビ受像機に映した(図1)。定格出力は200Wで,本体には蓄電装置などは一切使用していないという。燃料カートリッジに取り付けたバルブを回すだけですぐに発電を開始し,空気を送り込むためのファンが稼動する。実用化については,大型イベントで利用する計画が進んでいるという。
第二のダイレクトボロハイドライド燃料電池は,理論電圧が従来よりも3割程度高い新しい原理の燃料電池である。従来の水素を燃料とするPEFC(固体高分子型燃料電池)の理論電圧は1.23Vだが,新燃料電池のそれは1.64Vと高い。燃料電池では電圧を稼ぐためにセルを直列つなぎで積み重ねているが,高電圧である分セル数を減らせ,小型化とコストダウンに貢献する可能性がある。また,エネルギ密度の高いボロハイドライドの水溶液を直接セルに供給できるために,燃料供給部を小型化でき,携帯電子機器などにも向いているとしている。
発電の原理も解明されてきたようだ。2005年11月9日に開催されたセミナーで須田氏は,NaBH4の水酸化ナトリウム水溶液を燃料極に投入すると,8個の電子とNaイオンが発生し,Naイオンが電解質を透過すると説明していた。コイン大の超小型燃料電池の試作品の写真も公表,携帯機器に向いている点を強調した。ただし,燃料電池本体に比べて,ボロハイドライド燃料タンクが大きい点が課題だとしている。
米Millennium,軍事用から製品化開始
米Millennium Cell社は、「WPCフォーラム2005」(2005年10月26日)で講演し,同社の水素貯蔵システム「Hydrogen on Demand」システムの用途開拓を,500W以下の可搬型を中心に進めていることを明らかにした。最初に決まった用途は,軍事用だという。30W出力の携帯型で,兵士が身に付け,山野を行軍する際などに,トランシーバーなど様々な電子機器を駆動させるのに有用だと認められているという。続いて有望なのが,電動工具用の電源だと語っていた。
一方で同社は従来よりパソコンや自動車向けの検討も進めている。2005年3月1日に開催された「IDF(Intel Developer Forum)」では,同社が開発した小型の水素ガス供給システムを使い,ノート・パソコンの液晶パネル裏面に配置した燃料電池セルを駆動させた。このシステムを使い,米IBM社のノート・パソコン「ThinkPad X40」を連続で3時間駆動できる。同社はさらにシステムの最適化を図ることで,8時間連続駆動の実現を目指すという。 水素供給部の寸法は114mm×86mm×25mmで,この中にボロハイドライドを25cc充填できる燃料カートリッジを格納した。水素供給システムと燃料電池セルを組み合わせ,最大20W(瞬間的なピーク出力は25W)の出力を稼ぎ出す。
セイコーインスツル,パッシブ型でパソコン狙う
セイコーインスツルは, ボロハイドライドを使ってパッシブ型のPEFCを駆動するシステムを開発している。2005年5月12日に「第12回 燃料電池シンポジウム」で発表した試作品の外形寸法は125mm×50mm×30mmで,5Vの電圧で1Wの電力を8時間ほど出力できる(図2)。
【図2】ボロハイドライドを用いた燃料電池のデモ(セイコーインツスル)(クリックで拡大図を表示)
同社は触媒にリンゴ酸水溶液を使っている。同社は反応率について,H2SO4,Pt,Na2SO4などのほかの触媒と比較した結果,リンゴ酸の反応率が最も良く,反応速度もH2SO4についで早かったので選択したという。駆動条件は,最大の水素貯蔵密度となるように,リンゴ酸の濃度を25質量%,NaBH4の濃度を30質量%とした。
同社は今後,ノート・パソコンなどに向けて20W程度に出力を上げ,パッシブ型で駆動できるシステムの実現を目指すという。
米Medis,15ドルの「使い捨て」燃料電池を発売へ
ボロハイドライドを使った「使い捨て型」の燃料電池を開発しているのが米Medis Technologies社である。2005年4月末に米Washington D.C.で開催された携帯機器向け燃料電池に関するセミナー「Small Fuel Cells 2005」で実機を公開,2006年夏にも,携帯電話機に向けたポータブル充電器として発売することを目指す。
【図3】米Medis Technologies社が開発したボロハイドライドを使った充電器。右が使用前。強く握って内部にある液体燃料パックを押し破ったものが中央で,左の携帯電話を充電する (クリックで拡大図を表示)
卓上時計のような外形で,内部に燃料タンクと電源回路を備える。パッシブ型である。本体を強く握り,内部にある液体燃料パックを押し破ることで,燃料を内部の反応層に拡散させて発電を開始させる。約30ccの燃料をパックに詰めた試作機では,約20Whの容量がある。これを使い,携帯電話機を10数回充電できると見込む。燃料電池セルからの出力電圧は0.6V程度だが,それをDC-DCコンバータで5Vに昇圧して使う。Small Fuel Cellsの会場では,この試作機を使って韓国Samsung Electronics Co.,Ltd.の携帯電話機を充電する実演を見せた(図3)。
また同社は最近,日経エレクトロニクス記者のインタビューに応じ,燃料電池の製造コストは,4.5米ドルと見積もっていることをなどを明らかにした。これは原材料コストと組み立てコスト,そして流通コストを合わせた数字で,これを8米ドル程度で,量販店やOEM先の携帯電話事業者に卸すという。このために,一般の消費者が店頭で購入する価格を15米ドル~20米ドルにすると語った。また,2006年に量産するモデルでは,体積当たりの出力密度は500W/l,重さ当たりのエネルギー密度は350Wh/kgにする予定だという。