ソニーを去る牧本次生氏の「可処分時間」を産業発展のために
ソニーを去る牧本次生氏の
「可処分時間」を産業発展のために
ソニー顧問の牧本次生氏が現役を退き,ソニーを去ります。牧本氏といえば,日本半導体業界の顔といえる存在でした。1991年に,半導体産業には「標準品化」を重視しする時期と「カスタム化(専用化)」を追い求める時期が10年の周期で繰り返すとの知見を披露,この説は「牧本ウエーブ」として知られています。約10年前の1996年には,日米半導体貿易摩擦において,日本代表として論争の矢面に立ち,協定を結ぶべく,事態の終息に尽力しました。
「ミスター半導体」とも言われる牧本氏ですが,その実績の多くは日立製作所におけるものです。同氏は入社以来,日立製作所の半導体事業に貢献してきました。40年以上もの間,エンジニアとして日立製作所を勤めあげた同氏が2000年に突如としてソニーに転職したときには大きな衝撃が走ったのを覚えています。人材の流動化が重要と言われる中,転職がタブー視されなくなった時代とはいえ,大企業の中核事業を任されており,産業界を代表する人材の選択と決断は,一つの時代の変化を象徴したものでした。
転職など夢にも思っていなかった牧本氏の心をたった5分で変えてしまったのは,ソニーの出井氏でした。出井氏が直接,牧本氏の自宅に電話を入れ,ソニーにとって牧本氏の手腕がいかに大切かをズバリ説明したと言われています。当時は,ソニーの出井氏は「半導体こそがデジタル家電のコア技術」と宣言した時期でもあります。日本の製造技術がアジア地域に流れる中,大切なノウハウを半導体に閉じこめてブラックボックス化を図りたいと考えた出井氏,そして半導体事業では「マイナー」な存在のソニーに,牧本氏の英知を求めたというわけです。
牧本氏自身,半導体事業を陣頭指揮しながらも,日立製作所におけるアプリケーション事業の弱さを痛切に感じていました。半導体の牽引役がコンピュータ産業からデジタル家電へとシフトする中で,家電業界の雄であるソニーにおいて半導体事業に関わりたいと考えたそうです。牧本氏を訪ねて,多くの半導体技術者がソニーに駆け込んだと言われています。
さてこのたび,ソニーの経営陣交代と併せて,牧本氏もソニーを後にします。出井氏の旗振りの元,同社の半導体事業の象徴ともいえた牧本氏は,ソニーにおいてある一定の役割を終えたのかも知れません。その牧本氏から頂戴したお手紙に,「これからは可処分時間が多くなりますが」と記されていました。日立製作所を知り,ソニーを経験し,そして日本の半導体産業の浮き沈みを体現してきた同氏の経験を産業界の資産としたいところです。幸い同氏の人柄からか,後輩も牧本氏の声には素直に耳を傾けます。同氏のノウハウを業界発展のために使うのであれば,牧本氏も喜んで可処分時間を提供してくれるのではないかと,私は期待しております。



















