日経エレクトロニクスを離れるにあたり
今日は3月31日。ほとんどの日本企業は,明日から2009年度が始まります。毎年恒例のことですが,街中のあちらこちらで初々しい新社会人の姿が見られるでしょう。新入社員だけでなく,新年度の付き物といえば人事異動もあります。新天地で新たな一歩を踏み出すのは,企業社会で経験を積んだ人たちにとっても楽しみであり,不安でもあります。経済が芳しくない中で新しい門出を迎えるのは不安な面が多いと思いますが,心機一転するには大きなチャンスと捉えていいのではないでしょうか。
かく言う私も,この4月1日で異動となり,日経エレクトロニクス編集を離れます。国内の某半導体メーカーを退社して日経エレクトロニクス編集に入ったのが2000年7月ですので,既に9年弱が経過しました。普段,あまり過去を振り返らない私ですが,250冊にもなる取材ノートや取材先にいただいた大量の資料を整理していると,さすがに編集部で過ごした日々を思い起こさずにはいられません。
2000年から現在まで,エレクトロニクス業界では実にさまざまなことが起きました。私は数多くの話題を取材する機会を得ましたが,特に強く印象に残っているのは,薄型テレビ市場の形成と急拡大,LEDをめぐる動き,の二つです。荷物整理をしていると,この2テーマに関する取材ノートや取材資料があまりにも多いことに驚いています。
私にとって,液晶テレビやPDPテレビを取り上げた記事を初めて執筆したのが,2001年。当時の記事では,
こうしたFPDテレビ市場立ち上げの火付け役になったのが,シャープが2001年1月に発売した13インチ〜20インチ型液晶テレビ「AQUOS」と,日立製作所が2001年4月に発売した32インチ型PDPテレビ「WOOO」である。実際,家電量販店は久々の大型ヒット商品に沸き立っている。「まさかCRTテレビより3倍〜4倍もする液晶テレビや,50万円を軽く超えるようなPDPテレビが飛ぶように売れるようになるとは思ってもみませんでした。これまでCRTテレビの売り上げが停滞していただけに,笑いが止まりません」(ある大手家電量販店)という。
(日経エレクトロニクスの2001年12月3日号に掲載した解説「液晶/PDPの 快進撃で テレビは大競争時代に」から)
とあります。リビング・ルームに設置できるほどの画面寸法を備えた製品がこの年に出てきたことから記事を企画するに至ったのですが,編集部内で「そんなに値段が高いテレビが売れるわけがない。ニッチ市場を日経エレクトロニクスで取り上げるのはいかがなものか」と反対論が出てきたことを今でも思い出します。
私は「ニッチ市場で終わらない」とは考えていましたが,量販店でCRTテレビが見当たらないという現在の状況が起こり,さらには企業再編にまで至るとは思ってもみませんでした。「自然に売れていく」という商品がこれまでの常識をガラガラと崩す力があること,そして一度崩れ始めるとあっという間に完全崩壊に至る恐ろしさを実感しました。
もう一つの話題,LEDをめぐる動きは,二つの動きに立ち会えたことが印象に残っています。青色LEDに関わる係争(メーカー間の係争,中村裁判)と,白色LED市場の拡大です。
私が日経エレクトロニクス編集に入った2000年7月,青色LEDや白色LEDにまつわる状況といえば,LEDメーカー間で特許権侵害をめぐる係争を繰り広げ,青色LEDの開発者である中村修二氏が前年に日亜化学工業を退社して米国に渡っており(その年の12月に中村氏と日亜化学工業の係争が始まった),白色LED市場を立ち上げる大きな要因となったカラー携帯電話機の普及はこれから,といった感じでした。係争については終結に至るまで,当事者の方々に取材する機会を多々いただき,数多くの記事を読者の皆様にお届けできたと感じております。
白色LED市場については,カラー携帯電話機の市場への浸透に伴って白色LEDの出荷金額や出荷個数がうなぎ登りとなりました。ちなみに,カラー携帯電話機の普及によって,日経エレクトロニクスでは携帯電話機の表記を変えました。当初,携帯電話機といえばモノクロが標準で,カラー液晶パネルを搭載した端末はあえて「カラー携帯電話機」と呼んでいたことを思い出します。今は逆ですね。携帯電話機はカラーが標準なので,あえて「カラー」と付けません。
白色LEDの話題を追っていて感じるのは,「汎用性のある部品は強い」ということです。今,白色LED市場の牽引役だった携帯電話機向け市場は頭打ちとなりましたが,その後,白色LEDは次々に他の機器に広まっていきました。ノート・パソコンやモニター,テレビなどのバックライト市場が立ち上がりつつあり,照明向けも数多く出てきています。市場の成長はしばらく続くでしょう。
これら印象に残った分野はいずれも,機器や企業,市場を変えるような「キー・デバイス」を巡るものでした。これからも,キー・デバイスは出現し続けるでしょう。私にとって幸いなことに,今回の異動で日経マイクロデバイスに移ります。次なるキー・デバイスの芽を,早い段階から目の当たりにできる立場になりました。キー・デバイスの芽を少しでも早く見つけ出し,詳細な情報をエレクトロニクス業界の方々にお伝えしていきたいと強く思っております。
皆様,今度は日経マイクロデバイスでお会いしましょう。


















