Appleファンの怒りが示す設計思想の根本的な違い
Appleファンの怒りが示す
設計思想の根本的な違い
ビジネス分野の物書きならばよく知っているように,カリフォルニア州クパチーノ注)の「神童」の仕事を少しでもけなそうものならば,Appleファンの逆鱗に触れて,たちどころに打ちのめされてしまう。我々がMacBook Airの分解記事で,Apple社の設計は効率の点で改善の余地があると指摘した後に出くわしたのは,ちょっとしたそれだった(関連記事)。我々の主張を米Wired誌のブログが取り上げて以来,記事を非難するコメントが次々に届いている。
注)同地にはApple Inc.の本社がある。
まず背景を整理しておきたい。日本のノート・パソコン・メーカーは,小振りなサブノート・パソコンを長い間手がけてきた。日本の消費者は少々高くてもコンパクトな機種を買ってくれるからで,ほとんどの機種が日本市場だけに向けたものである。たとえば,本誌の記者も重宝がっている,松下電器産業のレッツノート・シリーズ。同社のWebサイトによると,最新のサブノート機は電池込みで940g。外形寸法は幅229mm,奥行きは187mm ,厚さは手前が29.4mmで,後部は42.5mmという。Apple社のWebサイトでMacBook Airの仕様を調べると,重さは1.36kg,寸法は幅325mm,奥行き227mm,厚さは手前が4mm ,後部が19.4 mmである。目指す市場が異なるので決定的な比較とはいえないが,日本メーカーの実力の一端を知るには十分だろう。
Apple社と日本メーカーの本当の違いは,設計思想にある。Apple社は,「体験の設計」と言われるデザイン手法の申し子にみえる。簡単に言えば,ユーザーが製品から受け取る「体験」に重点を置いた設計手法である。MacBook Airの場合,米国市場で大切な,使いやすいフルサイズのキーボードと幅広い画面を持ち,それでいて薄くて軽く,美しさを感じ取れることを目指したようだ。この体験を達成するためにApple社の設計者は,ほとんどのノート・パソコンで絶対に欠かせないEthernet端子や光ディスク装置を率先して排除した。一方で,他のパソコンの光ディスク装置を用いて無線LAN経由でソフトウエアをインストールできるようにしたり,DVDが見られない代わりに自社でオンラインのビデオ・レンタル・サービスを用意するなどしている。ハードウエアの不足をサービスで補うことで,ユーザーに納得してもらおうということだろう。あるいは,Ethernetのケーブルやディスクといった物理的な存在から自由になった,ノート・パソコンの新しい利用体験を提供するということかもしれない。日本メーカーにも光ディスク装置を内蔵しないノート・パソコンはあるが,Apple社が用意したようなサービスまで提供する発想はなかった。
これまで編集部が解体してきたいくつものApple製品から,私が受けた印象はこうだ。機器を設計する際,Apple社のハードウエア技術者は決して手を抜いているわけではない。想定する体験を達成できさえすれば,それ以上技術的に際立った工夫はしないのである。基本的に我々が指摘できるのは,MacBook AirではEthernet端子をなくしたり,USBポートを一つにしたりして,できるだけ部品点数を減らすことを念頭に設計した“らしい”ことだ。消費者が製品に魅力を感じる限り,この方法は他の手段と同じくらい有効といえる。
一方で多くの日本メーカーは,製品の機能や技術を洗練することに力を注ぐようだ。この設計思想は,くだんの記事に現れる技術者のコメントに見て取れる。日本メーカーが製品の機能に気を遣っていることは,ノート・パソコンの場合,誰もEthernet端子を外そうとは思わないことからも分かる(「考えられない!」)。技術の洗練に重きを置く発想の背後には,消費者が製品を使っているうちに,その価値に気づくはずとの思いがある。
Apple社は,Don Norman氏の教えの信奉者であるようにも見える。有名な認知心理学者で,Steve Jobs氏が復帰する前のApple社に勤務していたNorman氏は,「感情に訴えるデザイン(emotional design)」を主張している。デザイナーは,消費者と製品の間に感情的な絆を作り上げるべきとの発想である。これに成功すれば,消費者は製品の様々な欠点を見逃してくれるようになる(関連記事)。Steve Jobs氏が描くMacBook Airのビジョンは,「軽くてフルサイズの体験」で消費者を喜ばすこと。これが消費者に伝われば,有線のEthernet端子がないといった弱点を許容してもらえる,とみなしているのではないか。
Apple社は,Intel社を説得して通常よりも一回り小さいマイクロプロセサの供給を受けることで,基板の小型化を実現した。基板など内部のハードウエアの設計では,日本メーカーとの「差」はあまりないと我々は判断している。日本のメーカーにその気があれば,MacBook Airによく似たパソコンは作れるだろう。彼らに足りないのはApple社のビジョンである。それがない限り,見た目に似たものは作れても,MacBook Air,あるいはiPhoneやiPodは作れない。
私が思わずにいられないのは,Apple社の設計思想の先に見える真実である。自分が買うことができる製品が魅力的な体験をもたらす限り,それを実現した技術は大して重要でないのである。大半の消費者は,技術がすごいというだけで製品をほしくなるわけではない。


















