東京大学の高木氏
東京大学の高木氏
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 半導体や材料、バイオ・テクノロジーなどの分野で、先駆的な業績を残した日本人研究者に与えられる「山崎貞一賞」。平成24年度(第12回)の「半導体及び半導体装置分野」で同賞を受賞したのは、東京大学大学院 工学系研究科 教授の高木信一氏である。受賞対象になったのは「Si MOSFETのチャネル内キャリア輸送特性の解明と高移動度化への先駆的貢献」だ。これまでの研究の歩みについて高木氏に聞いた。

─今回の受賞対象となった研究に、どのような経緯で携わるようになったのか。

高木氏 1982年に大学院に入り、研究テーマとしてIII-V族化合物半導体を用いたMOSFETを選んだ。当時は、Si MOSFETがLSI向けトランジスタの覇権を握り続けるかどうかが不透明だった。超高速LSI応用に向けては、超伝導やHEMT(high electron mobility transistor)にも期待が集まっていた時期だ。ポストSiを担うトランジスタ材料は何か。その候補の一つとして各所で盛んに研究されていたのがIII-V族化合物半導体だった。

 研究の具体的な内容は、III-V族化合物半導体チャネルのキャリア移動度の決定要因を明らかにすること。特に、MOS界面とキャリア移動度の相関に着目した。修士課程と博士課程の計5年間をこの研究に費やしたものの、正直に言ってあまり芳しい成果は挙げられなかった。

 就職先を探すに当たっていくつかの半導体メーカーを回ったが、東芝を訪れた際にお目にかかったのが、当時は同社に在籍されていた鳥海明先生(現 東京大学教授)だった。鳥海先生はその頃、Si MOSFETの研究を担当されていて、Siの魅力をいろいろと私に語ってくれた。私は当時、III-V族化合物半導体とSiのどちらを就職先での研究テーマにしようか迷っていて、III-V族化合物半導体ならNECや富士通、Siなら東芝がいいと感じていた。

 鳥海さんをはじめとして、東芝でSi MOSFETを研究している技術者には、非常に活気があった。Siという材料の重要性を当時一番強く認識していた国内半導体メーカーが、東芝だったと思う。加えて、Siは産業としては極めて裾野が広く、だからこそMOSFETに関するかなりベーシックな研究が、産業界に大きなインパクトを与えられると考えた。これだけ裾野が広ければ、MOSFETのキャリア移動度が10%上がっただけでもビッグニュースになる。それで、大学院ではIII-V族化合物半導体を研究したけれど、就職後はSiを一からやるのも面白そうだと考えて、東芝への就職を決めた。

 1987年に東芝に入ると、鳥海さんが私の直属の上司になった。当時、鳥海さんが興味をもっておられたのは、Si MOSFETのキャリア移動度だった。私は材料こそ違うものの、大学院ではずっとMOSFETのキャリア移動度を研究していたから、研究テーマとしては打ってつけだった。これが、後に「ユニバーサル移動度」という概念の有効性を検証した研究成果のきっかけとなる。研究を始めた時には、まさか20年以上たった今でもリファーされるような成果になるとは思ってもいなかったが。

─入社してすぐに、今回の受賞対象となった研究テーマに出会った。

高木氏 研究を始めるに当たって、我々が着目したのは「実効電界」という考え方だった。1980年代前半に、ベル研の研究者がIEDMに論文を投稿して発表した概念だ。実効電界という概念を持ち出すと、チャネルの不純物や基板バイアスを変えることで起こるキャリア移動度の変調を統一的に理解できる。つまり、キャリア移動度に関して、実効電界によって説明されるユニバーサリティ(普遍性)が成立する。この点に着目して、データブックに載せられるようなきちんとしたデータを、パラメータを広範に振って丹念に調べようと考えた。特に、基板の不純物濃度はかなり広い範囲で変えて、詳細にデータを取った。当時、MOSFETの不純物濃度は1016cm-3台だったが、20年後の不純物濃度を見越して1018cm-3台にまで増やしたりした。測定温度も系統的に変えた。キャリア移動度のユニバーサリティに関して、これほど綿密かつ系統的に調べたのはこれが初めてだったと思う。

 1987年に入社してから1年をかけて研究した成果を、1988年のIEDMに投稿したら首尾よく通った。実は、大学院時代には海外の国際学会で発表した経験はなく、海外旅行の経験すらなかった。だから必死になって発表の練習をしたことを記憶している。その甲斐があったのか、IEDMで発表した内容は周囲から高く評価してもらえた。その後もしばらくは、この成果の延長線上にある研究を続けた。

 この間、上司の鳥海さんが米国に留学したことなどもあって、改めて自分の研究テーマを見つめ直さなくてはならなくなった。入社1年目から良い成果を挙げられたのは“ビギナーズ・ラック”。その後はしばらくスランプに近い状態が続いた。だがそこで原点に立ち返って、キャリア移動度だけでなくSi MOSFETの電流値が何で決まるのかを徹底的に調べようと決めたことで、腹が据わった。Si MOSFETの電流値を左右するファクタである「反転層容量」に関する研究に取り組んだのはこの頃だ。

 1990年代前半になると、1988年に発表したIEDM論文の引用件数が徐々に増え始めてきた。スケーリングだけではSi MOSFETの性能を高めることが難しくなってきたため、どうすればキャリア移動度を変調できるかというテーマに関心が集まり始めたからだ。キャリア移動度というのは、Si MOSFETの性能にかかわる唯一の「物理量」。これに対して、ゲート絶縁膜の厚さなどのパラメータは「設計値」。だからこそ、スケーリングによらずにSi MOSFETの性能を高めるという観点では、キャリア移動度の制御が重要になる。

 この頃から、デバイス・シミュレータでもキャリア移動度のフィッティングが行えるようになってきた。ただし当時は、バルク・モデルのフィッティングが主流だった。これに対し、我々は反転層に固有のモデルを作り、それをシミュレータに反映できるようにした。これにより、フィッティング精度を高めることができた。