結局、ステーション・ブラックアウト後に残った安全緩和系は、1号機では非常用復水器(IC)だけ、2号機と3号機では緊急炉心冷却装置の蒸気駆動の隔離時冷却系(RCIC)とHPCIの2つだった。ただし1号機のICも、バルブの開閉のために必要な直流電池電源の一部が浸水によって機能喪失したために正常に動かなかった。こうして1号機では前述の『NUREG-1150(1990)』の指摘通り、3月11日の午後6時頃からコアメルトへの最悪のシナリオが始まったのである。

 苛酷炉心損傷事故対策が不十分な福島第一原発には、もはやメルトダウンやメルトスルーを回避する方法は残されていなかった。1号機では3月12日午後3時半頃、原子炉建屋最上階で水素爆発が発生。2号機と3号機では、予想以上に持ちこたえたもののRCICとHPCIが原因不明のまま次々に停止し、1号機と同様にメルトダウンやメルトスルーを回避する方法を失った。そして3号機で3月14日午前11時頃、原子炉建屋最上階で水素爆発が発生したのである。(つづく)