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「どこよりも5年先を行っている」

 スマートフォン「iPhone」をはじめとする自社製品がどれだけ先進的かを示すために、米Apple社の前CEOを務めたSteve Jobs氏はこうした表現を好んで使った。同氏が数年後の将来を思い描いて製品づくりを進めてきたのは間違いない。現在の携帯型音楽プレーヤー「iPod classic」や「iPhone 4S」のユーザー・インタフェースが、基本的に初代の製品と大きく変わっていないことが何よりの証拠である。

 ただし、現実は必ずしも自分の思い通りに進むとは限らない。時には状況に応じて針路を修正する柔軟性を持ち合わせたことも、Apple社が成功した理由だった。実際、同社は市場の反応や利用できる技術に応じて先々の製品計画を臨機応変に変更してきたようだ。

 品質に自信を持って送り出したiPodも当初、音楽の歴史を書き換えるほどの製品とまではApple社も思っていなかった節がある。当初のiPodは、あくまでも同社のパソコンを売る呼び水とみなされていた。初代機は「Mac」にしか対応しておらず、Windows版を作ろうという社内の声にJobs氏は異を唱えたという1、2)。iPodを欲しがる人はMacも欲しくなるはずと考えていたらしい。この考えを改めて、Windowsへの対応に踏み出したのが、市場拡大への第一歩だった。

 有料の音楽配信を初めて成功させた「iTunes Music Store」(当時)や、iPodの市場を爆発的に広げた小型版の後継機種「iPod mini」の開発に乗り出したのも、初代iPodを発売した後とみられる1~3)。iPodを世に出した後に、合法的な音楽配信や小型で安価な製品が必要なことに気付いたようだ。Apple社は、iPodを成長させる要因をあらかじめ知っていたわけではなく、市場の反応を探りつつ、走りながら将来の形を決めていったのだ。

デモを見て思い付いたiPhone

 こうした対応を可能にしたのは、Apple社の開発の素早さである。初代のiPodの開発は9カ月ほどしか要していない。iTunes Music Storeや、iPod miniもそれぞれ1年数カ月ほどで実用化にこぎつけている3)

 これだけのスピードを実現できた秘訣は、Apple社の開発陣の熱意に加え、既に世の中に存在する部品を活用し、全く新しい製品にまとめる技術力、外部の技術開発企業との協力関係をうまく構築する術があった。

 パソコンでコンテンツを管理するアプリケーション・ソフトウエア「iTunes」は、もともと他社製品。後にApple社に加わったJeff Robbin氏らが、ベンチャー企業で開発したソフトウエア「SoundJam MP」が基になっている1~2、4)。iPodと同様な音楽プレーヤーのアイデアは、米General Magic, Inc.やオランダPhilips Electronics社の米国法人などを経て2001年2月にApple社に加わったTony Fadell氏も温めていたという1~4)。

 Apple社の成功には、ひらめきや偶然も作用している。iPhoneの人気を決定付けたタッチ・パネルは、あるデモをキッカケに採用が決まったという。

 前回紹介したインタビューでJobs氏は、iPhoneに使ったタッチ・パネルがもともとタブレット端末用だったことを明かしている5)。Apple社は携帯電話機より前にタブレット端末の開発に着手していたのだ。2000年代前半にJobs氏は、タブレット端末で主流だったペン入力方式は筋が悪いと判断し、指で入力できるタッチ・パネルの開発を社内で指示した。

 Jobs氏は出来上がった試作機をUIの担当者に渡す。この担当者が、iPhoneの特徴である、タッチ・パネル操作による画面スクロールのデモを数週間で作り上げた。指でなぞると慣性を持つ物のように動き、画面の端で輪ゴムのように伸縮する、あの動きだ。