宮城県 企画部 情報産業振興室 技術主査(当時)の小熊博氏(右)と同主幹兼班長の高橋寿久氏(左)
宮城県 企画部 情報産業振興室 技術主査(当時)の小熊博氏(右)と同主幹兼班長の高橋寿久氏(左)
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 3月11日、マグニチュード9.0の大地震が東日本を襲った。その直後、家族や友人の安否確認を求める電話が殺到し、通信事業者の交換局をパンクさせた。このため、固定電話、携帯電話とも音声通話をほとんど利用できなくなった。

 ただ首都圏では、その後も携帯メールをはじめデータ通信の機能は使い続けることができた。情報通信技術に詳しい利用者であればTwitterやSkypeなどで家族や友人の安否を確認できた。

 一方、被災地の通信インフラの状況は首都圏とは大きく異なった。地震と同時に発生した停電が2~3日、地域によって1カ月以上続いた結果、固定電話や携帯電話などの通信インフラはほとんど無力となった。

 「仮に首都圏を大地震が襲った場合、このままでは大混乱が起きかねない。今回、被災地の情報インフラに何が起きたかを正確に知ってほしい」。宮城県 企画部 情報産業振興室 技術主査(当時)の小熊博氏はこう語る。被災地での通信インフラの状況、生かすべき教訓について、小熊氏と同主幹兼班長の高橋寿久氏に聞いた。

――大地震が発生した直後の県庁の状況は。

高橋氏 県庁内で緊急地震速報は流れたと記憶している。その後、大きな揺れが発生し、ゆっくり2分くらい続いた。直後に停電が起きたが、県庁ビルに備えられた非常用発電機が起動し、数分で電気が復旧した。

 地震発生から30分後、輻輳(ふくそう)による通話制限のためか固定電話が不通になった。続いて、携帯電話も音声通話が使えなくなった。ただ、この時点では携帯メールなどパケット通信は有効で、遅延はあったもののメールによる安否確認は可能だった。

 だが、その後数時間ほどで、携帯電話基地局の充電池が切れて次々に使えなくなったようだ。パケット網もつながりにくくなった。

小熊氏 次に起きたのが、端末の電池切れだった。一部の基地局は自家発電装置などで生き残ったが、基地局と携帯電話の距離が離れてしまえば、その分だけ端末の充電池の消耗は早くなる。このためか、1日足らずで電池切れになった人が多かったようだ。スマートフォンはデータ通信には便利だが、電力消耗が激しく、電池切れも早かった。

――地震から1日経った時点で、一般市民が利用できた通信手段は。

高橋氏 公衆電話は使えたため、市街地では公衆電話に市民が長い列をなしていた。固定電話も輻輳の解消とともに使えるようになった。

筆者注:一般に公衆電話は、輻輳による通話規制下でも優先的に通話できる。停電下でも、通信事業者の局舎ビルが持つ自家発電装置が生きていれば、交換局から供給される電力で通信できる

 一方携帯電話は、端末が電池が切れて使えなくなっていた。非常用発電機が動いていた県庁ビルでは、一部の住民がビル内に携帯電話を持ち込んで充電する、あるいは外にある配電盤からコンセントを出して車座になって充電するといった光景が2~3日みられた。

小熊氏 沿岸部の状況はさらに深刻で、携帯電話は長期にわたりまったく使えない状況だった。基地局そのものが流されてしまったためだ。沿岸部に携帯電話事業者が移動基地局を持ってきたのは1~2週間後くらいだった。固定電話も、交換局自体が流されてしまい、不通になった地域が多かった。停電の解消にも1カ月はかかった。

――家族の安否確認のため、通信事業者は災害伝言ダイヤルなどいくつかの手段を用意していた。最終的に役立ったのは。

小熊氏 災害用伝言ダイヤルや災害伝言板を有効に利用できていた住民は、割合としては少なかったのではないか。とっさに番号が思い浮かばないし、使い方も分からない。仮に伝言を記録しても、家族が使ってくれなければ意味がない。通信インフラが回復するまでは、家族が避難所にいるかいないか、実際に足を運んで確かめるしかなかった。

 「Twitterやfacebookが安否確認に役立った」という話もあまり聞かれなかった。Twitterなどが情報共有に威力を発揮したのは、主に首都圏に限った話という印象だ。

 やはり、普段から使っている通信ツールでないと、災害時に大きな力を発揮できないと改めて感じた。コミュニケーションツールは、送り手も受け手もきちんと手段を認識していないと意味がないからだ。

筆者注:NTT東日本の災害用伝言ダイヤル「171」は震災当初、固定電話からの利用が殺到していたため、同社は携帯電話からの利用を規制していた。被災地ではそのうちに基地局や端末が電池切れになったため、携帯電話から171を利用できた人は多くなかったと思われる。

 一方で震災後、通信インフラが回復してから高い頻度で使われていたのが、米Google社日本法人が公開した安否確認サイト「Person Finder」だ。我々県庁も、市町村経由で収集した避難所の名簿をパソコンに取り込んだのち、データをPerson Finderにも提供した。手書きの名簿を災害対策本部経由で送ってもらい、それを1つ1つ職員がExcelシートに打ち込んだ。さすがに避難所にデジタル化を頼むわけにはいかなかったからだ。

高橋氏 Person Finderは大変有用なツールだが、「どこそこで見かけた」など確度が低い情報も入っている。このため、「Person Finderには名前があった」と被災者が県庁に問い合わせても、県庁側のデータベースでは確認できない、という事例がかなりあった。

 Person Finderを「あくまで手がかりの1つ」と割り切って使うならまったく問題ない。だが、ITに不慣れな被災者の中には「これは100%確実な情報」と思い込んでしまい、名簿にないと聞いて電話口で狼狽していた人がいたのも事実だ。

――震災の経験を通じ、被災地以外の地域に伝えたい教訓は。

小熊氏   今回、首都圏でも大量の帰宅困難者が発生したという。だが、電気や水、ガスなどのライフラインが生き残っていた分、仙台と比べるとかなり恵まれた状況だった、と言わざるをえない。停電すると街灯も消え、夜には幹線道路もライトなしでは歩けなくなる。仙台市の都市部ですら、こうした状況が3日続いた。行政も個人も、こうした「想定外の72時間」について想像力を働かせる必要がある。

 日経エレクトロニクスは5月30日号で、震災時に役立つ情報通信技術に関する解説記事を掲載する予定です。