「日経エレクトロニクス」2001年7月2日号の特集「特許はだれのもの」から抜粋
「日経エレクトロニクス」2001年7月2日号の特集「特許はだれのもの」から抜粋
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 ソニーの元専務取締役で,元ソニー木原研究所の代表取締役社長だった木原信敏氏が2月13日,急性心不全のため亡くなった。享年84歳。

 同氏は1947年に新卒採用の第1期生として東京通信工業(現ソニー)に入社,社員番号は57番だったという。1970年に取締役,1974年に常務取締役,1982年に専務取締役・研究開発所長,1989年に相談役に就いた。この間の1988年にはソニー木原研究所をソニーとの共同出資によって設立し,自由な環境で各種画像処理における最先端技術の研究開発や商品化に取り組んだ。長年にわたって磁気記録/再生技術の開発を中心に研究を進めながら,実用的で画期的な製品を数多く世に送り出した。「木原氏なくして,ソニーの技術は語れない」(ソニー)ほどの存在だった。同時に,多くの技術者も育てたという。

 木原氏は1950年にシュウ酸第2鉄を利用して磁気テープを作る方法を開発,日本発のテープ・レコーダーを完成させた。1955年には世界初のマガジン式超小型録音機や日本初のトランジスタ・ラジオを開発。その後,ビデオ・テープ・レコーダー(VTR)の開発に専念,日本初の真空管式VTRや世界初のトランジスタ式VTR,1964年には世界初の家庭用VTRを生み出した。さらに1975年に本格的な家庭用VTR「ベータマックス」,1980年に小型・軽量のカメラ一体型VTR「ビデオムービー」,1981年にフロッピーディスク方式による電子スチル・カメラ「マビカ」,1982年にカラー・ビデオ・プリンター「マビグラフ」を開発した。1990年には日本の電子産業に大きく貢献したとして,紫綬褒章を受章している。

 日経エレクトロニクスでは2001年7月2日号の特集「特許はだれのもの」で,同氏にインタビューしている。当時,研究開発に従事していた技術者が退社し,自分が所属していた会社を相手取って訴訟を起こすケースが続いて起きていた。自らが書いた特許に対する,いゆわる「相当の対価」を求める訴訟である。こうした動きに対して,700件もの特許を持つ同氏は「会社あってこその発明,その事実を忘れてはいないか」「日本でモノ作りをしっかり支えてくれる『本物の技術者』は必ずいる」とコメントしていた。