竹内氏の最終講義は学外にも広く公開され,誰でも参加できた。当日は平日の夕方だったにもかかわらず,約400人の聴衆が集まったという。その場には,NTTで竹内氏と共にELISを開発した日比野氏も参加していた。

 ここで日比野氏はShibuya.lispのことを知る。多くの若い技術者がいまだにLISPに関心を持っていることを知って驚いたという。そのとき同氏の脳裏をよぎったのはJAISTで眠っているELISのことだった。「あれを再び起動するイベントを開催すれば,若者に自分たちの技術を伝えられるのではないか」。Shibuya.lispに所属する三菱電機の吉田茂氏と意気投合した日比野氏は,ELIS復活祭の準備に向けて動き出した。

過去から現在,そして未来へ

 ELIS復活祭は3日間の日程で開催された。1日目はELISの開発の歴史,いわば「過去」がテーマだった。この日には,実際にELISの電源を入れる復活イベント「火入れ式」も行われた。2日目はELISから派生した様々な技術が紹介された。いわば「現在」に通じる話である。そして3日目は,プログラミング言語Rubyの開発者であり,LISPファンであることを公言している,まつもとゆきひろ氏を招き,LISPの今後,すなわち「未来」について議論した。

ELIS開発の歴史
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 復活祭の冒頭では,日比野氏がELISの概要とイベント開催の趣旨についてあいさつした。

 まず,1979年の開発開始から1992年の撤退までのELIS開発の歴史を簡単に紹介。次いで「マルチパラダイム言語であるTAOを搭載していたこと」「S-expression-Machine(S式マシン)という独自のアーキテクチャを採用していたこと」といったELISの特徴を挙げた。

 当時,他のLISPマシンより高速に動作した理由については「他のLISPマシンはLISPの関数をハードウエアで高速に実行するといった実行系のハードウエアに重きが置かれていた。これに対しELISは,(LISPの基本的な処理である)リスト処理の性能を上げられるようにメモリに高速でアクセスするための工夫を行った」と説明した。ELISの開発には,ピーク時で約70人の技術者が従事していたという。

現在は「テクノロジの転換点」
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 このタイミングでイベントを開催した意義は,現在が「テクノロジの転換点」にあるからだとした。1980年代はLSIを構成するトランジスタがバイポーラからCMOSに転換した時期であり,それに伴ってコンピュータはメインフレームからワークステーション,さらにはパソコンへとダウンサイジングが進んだ。日比野氏はこれを「どのように作るかから何を作るかの時代の入り口」だったと語る。一方,現在は,Web技術や米Apple Inc.の「iPhone/iPad」の隆盛に見られるように,「何を作るかからどのように使うか」への転換が進んでいる。それにどのように対応していくかを,イベントに参加した若い人と共に考えていきたいとした。

―― その2へ続く(不定期更新) ――