この話には,有名な名前がついています。「イノベーションのジレンマ」というやつです。乱暴にまとめてしまえば,市場で先行していた企業が,後から追い上げて来た企業に負けてしまうのは,市場の要求が変わったにも関わらず,従来のやり方を続けているからだという説です。提唱者のクリステンセン教授の定義と微妙にずれているかもしれませんが,本質的な内容は同じでしょう。
現在エレクトロニクス分野で日本企業が置かれた状況は,まさにこの「先行者」そのものです。半導体からデジタル家電まで,かつての威光は見る影もありません。中でもよく引き合いに出されるのが,音楽プレーヤーをはじめとするデジタル製品で,どうしてソニーがApple社に負けたのかという疑問です。このままではソニーの存在感は,さらに後発のGoogle社にも抜かれてしまうかも知れません。
「イノベーションのジレンマ」を当てはめれば,ソニーが旧来のやり方の延長線上で事業を進めてきたからということでしょう。ただし,端から見ればソニーは他の日本企業と比べて,いち早く新しい時代の仕組みを取り入れてきたはずです。Apple社のSteve Jobs氏がCEOに復帰する前,ソニーの出井伸之氏はネットワーク社会の到来を高らかに宣言する伝道師でした。ソニーがEMS企業に工場を売却したのは,他の国内大手電機のどこよりも早く,iPodすら世に出ていなかった2000年のことです。「ソフトウエア重視」「顧客重視」といった,同社の方針転換の弁も,何度も聞いた気がします。それなのにソニー製品が世の中を大きく変えているという実感は,ここ数年絶えてありません。
最近の講演会でApple社やGoogle社の戦略を語った米UIEvolution Inc.の中島聡氏は,「会社のDNAがソフトウエア開発者を大切にするカルチャーかどうか」が,企業の正否を分ける条件だと説きます。この意見の中で,私が特に注目したいのは「DNA」という単語です。この言葉が示すのは,口ではどんなことを言っていたとしても,企業には頑として変わならい根本的な発想や,行動原理があるということでしょう。
これを読んで思い出したのは,「ユーザー体験」についての記事で取材に回っていたときに,複数のソニー社員がこぼしていた意見です。かいつまんで言えば,どんなに面白いサービスやユーザー・インタフェースを開発しても,有機ELテレビのような製品の前にはかすんでしまう。つまり同社のDNAは,今でもやっぱり最先端のハードウエアに根ざしているというのです。
多くの日本企業が苦境に追い込まれているのは,煎じ詰めて言えば古い時代のDNAを引きずったまま,変えることができないからでしょう。確かに,社員に染みついた価値観や,組織の体質を変えていくのは大仕事です。しかし私は,その方法がないとは思いません。そしてそれは,「企業理念を書き換える」といった精神論や,「教育や研修を充実する」といったボトムアップの手段ではないのです。
旧時代のDNAを刷新する一番の近道は,恐らく人事と予算です。身も蓋もなく言えば,新たな価値観に即した人物を次々と重職に登用し,十分な予算と豊富な人材,大きな権限を与えることです。しかも,組織の隅々にまでその方針を徹底しなければなりません。なぜならば社員は,企業の経営陣が何を重視しているのかを,予算配分や人事異動,自らの業務に対する評価や処遇などによって,極めて敏感に察知するからです。いくら「xx重視」のスローガンを掲げたところで,組織中の関連部署の位置づけを見れば,会社がどう考えているかは一目瞭然なのです。
ですから,もしハードウエアのDNAを持つ会社がソフトウエアのDNAを持ちたいと望むのなら,例えばハードウエア出身の役員の首をソフトウエア出身者ですげ替え,ハードウエア部門を統治する権限も付与し,より多くの予算と人材をソフトウエア開発組織に集めればいいでしょう。一方で,ハードウエア部門の不要な人材には辞職してもらい,要らなくなった組織は廃止します。さらにはソフトウエア重視の方針を,人事考課にも反映するわけです。極端な思考実験をすると,ソニーの遺伝子をAppleのそれに近づけるには,Apple社員と同様な能力を持つ人材を社内から探してきて,Apple社の組織や予算配分をソックリそのまままねてしまえばいいということです。それまでの組織や予算の構成に一切関わらず。
もちろん,そんなことは普通できません。なぜならば,旧来の価値観を持つ人たちが大反対するからです。しかも,その数は社内で確実に絶対多数を占めるでしょう。DNAとはよく言ったもので,そもそもそれが変わってしまえば,名前は同じでも中身は全く別の会社になってしまいます。企業の「体」が拒絶反応を示すのは当然なのです。
このため,古いDNAを持った企業が新しい方向に踏み出す一歩は,必ず「実験」の性格を帯びます。とりあえず試してみて,本当にモノになるかどうかを探ってから,徐々に規模を拡大すればいいだろうというわけです。そんな及び腰で,本気で戦っている企業に勝てるはずがありません。かつてソニーは,Apple社のiTunesに対抗するソフトウエア「CONNECT Player」の開発を,シリコンバレーのベンチャー企業に依頼したそうです。
社内の猛烈な抵抗を押しきってトップダウンの改革を実行することは,理屈の上では可能です。ハードウエアの会社からサービス中心の企業に転身した米IBM社はその一例でしょう。しかし現実には,そこまで踏み込める経営者は,天文学的な数字の逆数ほどの確率でしか存在しないと思います。企業に新たなDNAを植え付けたからといって,成功は保証されないどころか,今以上に悪い状態に陥る可能性さえあるからです。その上,多くの国内企業の経営者は,数年もすればお役ご免になる日が来ます。それまでの残り時間を数え,表向きは改革を進めたふりをして,なるべく現状の体制を維持しようとする「緩やかな衰退」の道を選ぶのは半ば必然でしょう。
これは,企業のトップに居座っているオヤジだけの問題ではありません。たとえ若手が大役を任されたとしても,事の本質は変わりません。片方には,多くの社員の生活や仕事に対する誇り,これまで積み上げてきたキャリアや尊敬に値する能力。もう片方には,従来の常識を塗り替えた上,本当に成功するかどうか分からないまま市場に飛び込む暴挙。この二つを秤に掛けて後者を選ぶためには,歴史上の人物に匹敵するほどの胆力と剛腕が必要なのです。
かつて私は,先行メーカーと後発メーカーのどちらが有利かを,友人と議論したことがあります。技術で先行した日本メーカーは,追い上げてくる海外企業に勝てるのか,負けるのか。彼とはここ数年顔を合わせておらず,激論の結末は,いまだ宙ぶらりんのままです。しかし,我々の眼前で移りゆく時代は,否応なしに結論を突きつけます。結局,日本の大手電機メーカーは破れてしまったのではないか。
恐らくこれは人間社会の必然でしょう。歴史を紐解けば明らかなように,一つの国がいつまでも栄華を誇れるわけではありません。しかも,主役の座が移ることには人道上大きな意義があります。なぜならば中国をはじめとするBRICs,いまだ貧困に苦しむアフリカの人々も,いずれは自国の産業を振興し,豊かな生活を送りたいはずだからです。日本などの先進諸国が「新興国の市場を開拓せよ」と主張するのは,かの国の立場からすれば,かつて帝国主義国家に自国の市場を蹂躙された悪夢と大差ないのかもしれません。
日本企業の長い冬はまだまだ終わらないでしょう。ひょっとすると,予想以上に状況が悪化するかもしれません。ただしそれは,決して苦しいだけの時代ではないはずです。新しい事業や若々しい企業を育むチャンスにあふれています。来るべき春を迎えるために,どうしても必要な時期なのです。そしてその先に,全ての人や国家が等しく富める,豊かで均衡のとれた循環社会を夢見つつ。
―― 完 ――
担当者異動のため,このコラムは今回で終了させていただきます。長い間ご愛読ありがとうございました。
ニュース(3月15日~26日)
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