人類はユビキタス時代に突入した。いや,最近ではクラウドなどと呼ぶのであろうか。いずれにせよ,あらゆる情報を,時と場所を問わずに利用できる時代が到来したことは間違いない。卑近な喩えを挙げれば,通勤途上に,自宅のパソコンに保存した音楽に耳を傾けつつ,会社のシステムにアクセスして仕事を片づけるなど,もはや朝飯前である。

 ところがそれに伴って,ユビキタス社会の意外な弱点が明らかになりつつある。筆者が身をもって体験しているそれは,つながるべきところで,つながらないという問題だ。自分と情報を結ぶ線が,そこかしこで切れてしまうのだ。気が付けば,ヘッドホンの音楽は途切れ,ネットの先のシステムは応答せず,ノート・パソコンはキーボードが反応しない上,電源ケーブルまで断線気味である。挙げ句の果てにこの原稿の落ちときたら,「記事のランキングと関係あるかって?いえ,全くありません。これが本当のつながらない話」と決まっているから質が悪い。

 つながるべきところでつながらないと,人間は猛烈ないらだちに襲われる。ある経済評論家は,「期待を裏切られると,人は動揺する」と主張する。私は「期待を裏切られると,人は立腹する」と言い換えたい。

 ごく最近の災厄が,Bluetoothヘッドホンである。始終絡まり合うケーブルに嫌気がさして,無線で音楽を伝送する製品に替えてみた。ところがしばらく使っているうちに,おかしなことに気が付いた。左からしか音が聞こえないのだ。「ついに老化が耳にまで」と諦めかけたが,ヘッドホンの本体を押したり曲げたりしていると,音が聞こえるときがある。顔から血の気が引いた。ひょっとして,断線か。早速ネットで調べてみた。製品の名前に「断線」と書き加えて検索する。しかし出てくるのは,「無線だから断線の心配がない」と主張するページばかり。「違うんだ。そうじゃないんだ」とつぶやいてみたが,ネットの向こう側には届かない。

 これまでの経験からして,ヘッドホンに一度断線の症状が出てしまうと,もうおしまいである。何とか音が聞こえる状態にしてテープで固定したりすると,一瞬直った気がするが,まやかしだ。早晩使い物にならなくなる。製品を修理に出そうにも,メーカーのWebサイトには,新品を買うよりも高い料金が書いてあった。それならば最後の手段である。パソコンのキーボードが無反応になったとき,ネットで調べるとコネクタの接触不良とあった。慣れない手つきで分解し,キーボードとメイン基板をつなぐコネクタを指で念入りに押してみた。この方法で回復したことが2度もある。

 ――結論を言えば,今度はダメだった。ヘッドホンを分解しても,どこが悪いのか見当も付かない。ネジをきつく締めれば大丈夫かと力を込めたが甘かった。左側からは,やはり音が出ないまま。結局,断念するしかなさそうだ。

 隅々までネットワークが張り巡らされた社会で,断線は避けて通れない問題である。無線化が必ずしもに答えにならないことは,身をもって経験したばかりだ。伝統的な解決策の一つは,伝送路の多重化である。実際,Bluetoothヘッドホンが使えないと分かるや,私は鞄から別のイヤホンを取り出し,即座に耳に押し込んでいる。しかし,これでは元の木阿弥だ。

 つながらない場合のもう一つの常套手段は,あらかじめローカルなメモリに必要な情報を蓄えておくことである。残念ながら,私にはデジタル・データを保存するメモリが付いていない。それならば,と閃いた。脳に蓄えればいいではないか。プレーヤーが再生する楽曲を何度も聴いてなるべく記憶にとどめ,たとえヘッドホンから音声が途絶えても,頭の中で鳴り響くようにするのである。これならば断線の心配もなく,ケーブルの煩わしさからも解放される。他の問題でも同様だ。キーボードが打てないときは頭で考えればいいし,そもそも知識が豊富であればネットで調べる必要もない。結論。情報の断線問題を根本的に解消する方策は,人間の脳髄を鍛えることである。

お知らせ:勝手ながら来週このコラムはお休みさせていただきます。再来週に2週間分のランキングをお届けする予定です。

ニュース(3月8日~12日)