人体通信は現在,原理や基礎技術の研究が活発に進められている。その知見を基に,通信方式や電極などを最適化して,医療や自動車などの応用に生かす段階に達している。最近の技術,応用動向について,実際に現場で開発を進めているアンプレット 代表取締役社長(東京電機大学 講師)の根日屋英之氏に聞いた。

根日屋 英之 氏
根日屋 英之 氏

 同社は,人体通信によって心電や血流などのセンシングが可能になることを見出している(関連記事)。心電計や脳波形などの生体情報センサと人体通信の受信機は,機能は異なるが回路構成は似ており,ほとんどの回路を共用できるという点に同社は着目,人体通信受信機(後述する電界方式)で心電波形のセンシングを行い,医療や自動車応用などを開拓している。

問 人体通信とは何かをあらためて伺います。また,開発や応用の現状はどうなっているのでしょうか。

根日屋氏 人体をデータの伝送媒体とする人体通信は,かつて軍事技術として研究されていましたが,1996年に米国 IBM社の Thomas G. Zimmerman 氏が人体通信に関する論文を発表し,産業用途や民生用途での応用を目指すようになりました。

 手で触れるだけでその人を特定し,戸の開錠や施錠をしたり自動車のエンジンをスタートさせたりすることができ,電子チケット,電子マネーなどへの応用も考えられています。また,ウエアラブル・コンピューティングの世界でも,例えばサングラス型ディスプレイ,CPUユニット,バーチャル・キーボード間を,人体通信技術を用いてワイヤレスで接続できます。これで,気軽に映画や音楽を楽しむことも可能です。

 また,人体通信機器は,筋電位や心電波形などの生体情報センシング機器と電極や回路構成が似ていることから,人体通信機器を流用した生体情報を取得することができます。この技術を用いると,人体通信では情報通信を行いながら,同時に生体情報を取得しその情報も併せて通信相手に送ることができます。このため最近では,医療分野,ヘルスケアやエステティック分野での応用が検討されています。さらに,脈拍の間隔をセンシングすることで,リラックス状態か緊張状態かがわかりますので,居眠りや酒酔い,不整脈などの状態をセンシングして安全運転を行う自動車応用の可能性もあると思います。また,機械(人型や動物型ロボットなど)と人間とのコミュニケーションなどに人体通信を応用することにも注目が集まっています。
 
 通信方式や原理については,まだいろいろな場で議論が行われている段階です。しかし最近では,議論が縦割り(業界や組織ごと)で個別に行われていた状態から,業界間で情報交換や共有を行う“横の連絡”が行われるようになってきました。私も自社のWebサイト(http://www.amplet.co.jp/indexja.htm)や,副主査を務めているNPO法人のウェアラブル環境情報ネット推進機構(WIN)の「人体通信プロジェクト」のサイトに,人体通信に関する情報を公開し更新しています。情報の共有化は,人体通信の普及に必要なことと思っています。

問 通信方式や原理についてご説明ください。

根日屋氏 これまでの研究では,人体通信の通信方式として以下の四つが提案されています。

 一つ目は電流方式で,人が電極に触れ人体に微弱電流(数百μA程度)を流し,その電流に変調をかけて情報を伝達します。主に数百kHzから数十MHzの搬送波を用います。

図1 2Mビット/秒と高速でデータ伝送する人体通信試作機
図1 2Mビット/秒と高速でデータ伝送する人体通信試作機
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図2 UHF帯電波を使った人体通信
図2 UHF帯電波を使った人体通信
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図3 弾性波(超音波)方式による人体通信試作機
図3 弾性波(超音波)方式による人体通信試作機
写真提供は拓殖大学工学部電子システム工学科准教授の前山利幸氏
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 二つ目は電界方式で,人体表面に沿う電界に送りたい情報で変化を与え通信を行います。このとき人は直接,電極に触れる必要がありません。主に数MHzから数十MHzの搬送波を用いていますが,電流方式に比べると回線の安定性や対雑音性の問題があります。これらの問題を解決するために,アルプス電気と当社はスペクトル拡散方式を採用した電界通信試作機(2Mビット/秒)を共同開発しました(図1)。

 三つ目はUHF帯電波方式です(図2)。UHF帯の電波による人体通信が,主に欧州で研究されています。従来,波長が短いUHF帯の電波は直進性が強いと考えられていましたが,英国のクイーンズ大学のGareth A. Conway氏とWilliam G. Scanlon氏は,電波の一部を人体の表面に沿って伝搬させる体表回折波に関する論文を発表しています。人体からの空間への不要放射を抑え人体に沿った表面波のように伝搬させ,高さが低い低姿勢側面放射型UHF帯アンテナを用います。欧州では,この方式が産業界では発展しそうです。

 四つ目は,弾性波方式による人体通信の研究です。超音波を使うという興味深い技術で,拓殖大学工学部電子システム工学科准教授の前山利幸氏が研究しています(図3)。前山氏は前職のKDDIで電流方式の人体通信の研究をされていた方です。

 以上のように人体通信における伝播路は,体内伝搬,人体の表面伝搬,空間伝搬の三つが考えられています。搬送波が数百kHzから数十MHzの周波数帯では,人体表面に沿う電界やそこに流れる微小電流による通信が行われているため,通信範囲は人体近傍にとどまっていると考えられています。

応用事例と技術課題