出ました,「iPhone 3G S」。正直,ネーミングはいかがなものかと思うのですが,自他共に認めるAppleびいきの筆者としては,発売日が待ち遠しくて仕方がありません。同僚には,「今回はマイナーチェンジっぽいし,昨年発売のiPhone 3Gの代金も支払い終えていないのに,一体なぜ?」と聞かれることがしばしば。ですが,iPhoneが既に体の一部になったかのようなヘビーユーザーの一人としては,「すべての動作が最大2倍速い」と言われただけで十分です。iPhone向けに日々増え続けるアプリケーション・ソフトがサクサク動くというだけで,目の色が変わってしまうのです。

 そういえば昔,こんな将来を予測したような記事に関わったことがありました。日経エレクトロニクスが2001年4月9日号に掲載した「Javaは ケータイを救えるか」です。この記事の主張は,当時NTTドコモが始めたばかりの「iアプリ」サービスの先には,「ハードウエアの進化がソフトウエアの大規模化を促し,大規模化したソフトウエアがさらに高度なハードウエアに対する飢餓感を生むといった循環が」成り立つかも知れない,というものでした。そうなれば,携帯電話機もパソコンと同様に,プロセサの性能向上やメモリの容量拡大によって継続的な買い換え需要を生み出せる,というわけです。

 今Apple社がやろうとしていることはこれに近いのではないでしょうか。だとすると,非常に大雑把な見方をすれば,Apple社は日本で生まれた発想の後追いをしていると言えるのかも。よくよく考えてみると,「フルブラウザ」によるWebサイト閲覧にしろ,タッチパネルを使った操作にしろ,iPhoneの主要な特徴は,いずれも「ガラパゴス・ケータイ」といわれる日本の携帯電話機で前例があるものばかり。それらをうまく組み合わせて,使い勝手やデザインを高めたのがiPhoneと言っても,あながち間違いではないのでは。

 ちょっと待ってください。「他の国で生まれたアイデアを改良した製品で世界を席巻する」――これって日本メーカーの得意技だったはず。実際こちらの企画記事では,元パナソニック副社長の水野博之氏曰く「自動車、テレビ、VTRなど、いずれもコンセプトを産んだのは米国」であるのに対し,「カメラにしてもVTRにしても「芸術品」のレベルで民生品を量産化できるのは世界を見渡しても日本メーカーしかいない」。同じ記事で元ソニー副社長の中村末廣氏も,「日本人の特性は「磨き文化」である。(中略)日本人はオリジナル・アイデアをつくり出すのは苦手だが、製品を磨き上がることには長けている」と語っています。しかし,いわゆるスマートフォンの世界では,コンセプトを出したのは日本,それを磨き上げたのは米国と,構図が逆転しているのではないでしょうか。

 ただ,スマートフォンの「磨きどころ」はかつてのテレビやカメラとは違うようです。iPhoneや,先日登場した「Palm Pre」を見る限り,芸術品に迫るハードウエアよりも,使い勝手が良く,かゆいところに手が届く,ソフトウエアやサービスである気がします。東京大学の藤本隆宏教授は,「広い意味ではサービス業だって,ものづくり」と言いますが,日本人は本当にそこでも強いと言えるのでしょうか。ディズニーランドの発想に垣間見えるように,顧客のもてなしに関して米国の磨き文化は決して侮れません。

 これからの時代,幅広い製品でソフトウエアやサービスが重要になるのは間違いないでしょう。ひょっとすると今の日本メーカーに必要なのは,当たるかどうか分からない「イノベーション」を追い求めることよりも,「ソフトウエアの磨き文化」を地道に作り上げることなのかもしれません。

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