ご存知のように,日本製のハードウエアの猛攻で苦しめられ,家電メーカーが次々と店じまいした米国は路線を変更した。「我々を悩ませているのは,全部我々が発明したものだ。それはなぜだ」と真剣に考えた。米国は,ハードウエアの知的財産権を高く売り,ハードウエアの上位概念としてソフトウエアを位置付けた。その方向にシフトする戦略を構築し,実行したわけです。いわゆる「情報化社会」ですね。

 この戦略に日本は乗ってしまったんだなぁ。キャッチアップ・モデルで右肩上がりの成長を遂げた勢いで,情報化社会もコピーしようとした。エレクトロニクス業界だけでなく,国も一緒になって米国のような情報化社会のインフラを作れば,何百万人もの雇用を生み出すと掛け声がかかったわけです。

 しかし,情報化社会はキャッチアップできるようなものではないんですわ。1990年代に私が米スタンフォード大学に籍を置いていた時代,米国人は不思議がっていましたよ。「日本から山のように見学者が来て,もくもくとノートを取って帰っていく。彼らはいったい何を学んでいるんだろう」と。

 情報化社会というのは,今日の社会と明日の社会が違うことが特徴なんです。情報を基盤に社会が動くわけだから,ものすごく変化が速い。“今”の状況を学んで,日本に帰国してからどうやってキャッチアップするんだというわけです。ところが日本では今も同じような状況が続いている。米国の情報化社会をキャッチアップすることが責務だとエレクトロニクス業界は考えているんですな。

幸之助の夢は家庭を楽しい場所にすること

 私は,以前からそれは全く違うと考えていた。ビジネスでの情報化社会は,既に勝負が付いていて,米国には追いつけない。我々が勝たなければならないのは,情報化社会が家庭のコモディティの世界に来たときだ。そのための戦略を練らなければならないと。

 松下の取締役をしていたときに,ある雑誌で「松下幸之助批判」というテーマの特集をやるという話があった。経営の神様もコンピュータでは失敗したという内容を掲載するという。ついては,松下側の意見も聞くから,誰か出て来いと,編集部に言われたんですね。そこで「お前行け」という話になって,私に白羽の矢が立った。