コナミデジタルエンタテインメントの小島秀夫氏
コナミデジタルエンタテインメントの小島秀夫氏
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技術とゲーム・デザインの関係
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メタルギア・シリーズの発展経緯
メタルギア・シリーズの発展経緯
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 「Game Developers Conference(GDC)」の基調講演は,昨日の任天堂 代表取締役社長の岩田聡氏に引き続き,2本目も日本人が担当した。コナミデジタルエンタテインメントで専務執行役員 クリエイティブオフィサーを務める小島秀夫氏である。小島氏は大ヒット作「メタルギア」シリーズを監督した。

 講演のテーマは「Solid Game Design:Making the ‘Impossible’Possible」。不可能を可能にするゲーム設計,ということである。ここで不可能とは,目標に向かって乗り越えられない壁だと考えると,「実は多くの場合,過去に経験していなかったことを不可能だと思いがち」(小島氏)。つまり今までの壁を飛び越えてきたとすると,飛び越えられない高さの壁は「不可能」に見える。しかし壁を破壊したり台を使ったりする方法や,ちょっと引いてみると迂回する方法があることが多い。今までの考えにとらわれないことが必要だというのである。壁の高さはハードウエアの進化やソフトウエア技術の改善によって下げることができる。それでも乗り越えられない部分を「ゲーム・デザインを工夫することによって乗り越える」(小島氏)。

 これをメタルギア・シリーズの開発に沿って説明した。最初のメタルギアが登場したのは1986年。対象機種は「MSX2」規格準拠のパソコンである。MSX2はゲーム性を重視したパソコンの規格で,処理性能はそれほど高いものではなかった。当時ゲームに適した規格と言われていたのは,グラフィックス機構に「スプライト」と呼ぶ機能が入っていたため。スプライトは背景の画面に重ねてオブジェクトを表示させる機能で,MSX2ではスプライトを32個定義できた。しかし,表示できるのは8個までと言う制約があった。

 メタルギアは当初,敵兵と撃ち合いをするコンバット・ゲームとして企画された。スプライトは色を付けるために2枚必要なため,敵兵二人にユーザーのキャラクターを表現するだけでスプライトが6個必要となる。これだと「弾丸を3発撃ったところでスプライトが限界になり,表示できなくなる。これではコンバット・ゲームとしては成立しない」(小島氏)。

 そこで,ゲーム・デザインでカバーすることにした。弾が撃てないのであれば,弾を撃たないでゲームとして成立すればよい。「まず,戦わないゲーム,というのを考えた。しかしそれでは当然,ゲームとして成立しない。次にひたすら逃げるというのも考えたが,これもゲームとしては難しい。敵から隠れる,というのであれば,工夫すれば成立しそうだと感じた」(小島氏)。結果として生まれたのが,「敵の基地に潜入する」というコンセプトのゲームである。これが「ステルス・ゲーム」と呼ばれる新しいゲーム・ジャンルを切り開くことになった。

 その後の「メタルギア2ソリッド スネーク」では同じハードウエアでステルス・ゲームの質を高めるため,音やレーダーといった新しい要素を取り込んだり,プレイステーション用の「メタルギアソリッド」では3次元の世界を取り入れ,今までにない新しい視点での再生を取り入れた。プレイステーション2に対応した「メタルギアソリッド2サンズ・オブ・リバティ」では気候など周囲の環境を要素に入れることによりリアル感を向上させ,「メタルギアソリッド3スネークイーター」では建物の外という新しい条件を入れることでゲームとしての質を高めたという。また最新作の「メタルギアソリッド4ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」では戦場の中に入るという新しいコンセプトを打ち出している。

 最後に小島氏は,「できないと言ってあきらめる前に,何が不可能の原因となっているかを識別する。一度不可能の壁を乗り越えてしまえば,不可能と思っていたことが可能性に変わっていく」と語って締めくくった。