戦いは始まったばかりとはいえ,市場開拓で先を行くエレクトロニクス・メーカーを座して見ている余裕はない。シェア獲得に当たって最も頼りになる強いブランド力の構築には,長い時間がかかるからだ。こうした状況を受け,これまでBRICs市場について目立った動きをしてこなかった日本のエレクトロニクス・メーカーも,ここにきて明確な戦略を打ち出している。「韓国勢が先行しているが,本当の勝負はこれから。今後2~3年はBRICsにフォーカスする」(ソニー グローバルマーケティング部門デマンドチェーンマネジメント担当部長の金子克之氏),「BRICsは販売数量を稼げる重要な市場になった。今から勝負に出ないといけない」(東芝 海外事業推進部 アジア担当参事の竹内義博氏)。

日本の常識は通用しない

 日本市場に重きを置いてきたエレクトロニクス・メーカーが,BRICsを含む世界市場で自社製品を展開するのは容易ではない。日本市場と同じ手法をそのまま世界市場に持ち込んでも,通用しない可能性が高いからだ。

 これを象徴しているのが,携帯電話機での苦い経験である。「iモード」ブームで勢いをつけた日本の端末メーカーは,2002年ころにこぞって海外市場の攻略に乗り出した。ところが,その野望は世界市場での常識を前に,ほどなくついえた。Nokia社やSamsung社,Motorola社といった先行メーカーが次々に繰り出す新製品の前では,日本メーカーが散発的に投入する製品は,例え機能が優れていたとしても,いかにも目立たなかったからだ。

 例えば,中国では毎月10機種以上の端末が発売される。圧倒的に機種数が少ない日本メーカーの携帯電話機の存在感は極めて小さかった。「販売店に新製品が次々と並んでいくため,相対的に古くなる日本メーカーの端末は隅に追いやられてしまった」(中国BDA China Ltd.,PresidentのDuncan Clark氏)。

 この結果,2004~2005年にかけてNECや東芝,パナソニック モバイルコミュニケーションズ,三菱電機などは,相次いで海外拠点の清算,縮小を敢行せざるを得なくなった(図6)。1台当たり3万円とも3万5000円ともいわれる販売奨励金が携帯電話事業者から支払われるような特殊事情が,日本の端末メーカーから世界戦で勝ち抜くためのしたたかさを奪ったという見方もできる。

図6 世界市場から撤退を余儀なくされる ここ1~2年,日本の携帯電話機メーカーは世界市場から撤退を始めている。2004年に東芝が米国や中国における端末の販売を中止したのを皮切りに,2005年にはNECやパナソニックモバイルコミュニケーションズ,2006年には三菱電機が欧米や中国などにおける端末開発を打ち切った。パナソニックモバイルコミュニケーションズは第3世代(3G)携帯電話機の開発拠点だけは中国に残したものの,現時点で今後の具体的な開発スケジュールは明らかにしていない。
図6 世界市場から撤退を余儀なくされる ここ1~2年,日本の携帯電話機メーカーは世界市場から撤退を始めている。2004年に東芝が米国や中国における端末の販売を中止したのを皮切りに,2005年にはNECやパナソニックモバイルコミュニケーションズ,2006年には三菱電機が欧米や中国などにおける端末開発を打ち切った。パナソニックモバイルコミュニケーションズは第3世代(3G)携帯電話機の開発拠点だけは中国に残したものの,現時点で今後の具体的な開発スケジュールは明らかにしていない。 (画像のクリックで拡大)