米Intel Corp.のマイクロプロセサに負けず劣らず品種が多いのが米Advanced Micro Devices, Inc.(以下,AMD社)のマイクロプロセサである。とても1本の記事には収まらないので,2回に分けて説明したい。

 もともとAMD社は,組み込み向けに多くの製品をリリースしていた。これはIntel互換品を展開しているベンダーとしてはやむを得ない選択だったのではないだろうか。もっとも利益率の高いコンシューマ向けの市場をIntel社にがっちり握られているため,利益率は低くても長期的に収入が見込める組み込み向けに目を向けざるを得ないからだ。

 さて,AMD社のマイクロプロセサについては,第4世代から話を始めたいと思う。1980年代後半~1990年代初めに相次いだIntel社とAMD社の間の係争がいったん全て決着した1995年,AMD社はIntel社の「486」をベースとしつつも動作周波数90MHzの「Pentium」に比肩しうる性能を持った「Am5x86」をリリースする。このAm5x86のコアは,後に「AMD Elan SC520」というSoCに搭載されるなど,息の長いコアとなった。これに続くのが「SSA/5」あるいは「5K86」といった開発コード名で知られる「AMD-K5」である。だが,このプロセサは同一クロックのPentiumよりやや高速な程度。しかも動作周波数は最高でも133MHz。性能では先行するIntel社に大きく遅れをとっていた。

買収で巻き返しを図る

 この状況を一挙に覆すためにAMD社が採った秘策が米NexGen, Inc.の買収である。NexGen社は独立系ファブレス・ベンダーで,同社の最初の製品である「Nx586」はかなり高い性能を誇り,それまで実績がなかったにもかかわらず一定のシェアを握りかけるところまで来ていた。これに続き開発中だったのが,Pentium Pro以上の性能を持つ「Nx686」だった。このタイミングでAMD社は,NexGen社を買収,このNx686をベースに「AMD-K6」を発表する。さらにこのK6に「3DNow!」と呼ぶSIMDエンジンを搭載した「K6-2」,K6-2に256KBのL2キャッシュを搭載した「K6-III」をリリース,同クロックのPentium II/IIIと同等の性能をたたき出す。この時期,Intel社は互換メーカーの追従を嫌ってCPUのインターフェースをSocket 7からSlot 1(のちのSocket370)に変更。この結果,Socket 7対応ボードを使っていたユーザーは,そのままK6ファミリーにマイクロプロセサを乗せ換えるといった動きが始まった。このためプラットフォームがそのままCPUの選択に繋がるという面白い動きが市場で見られた。


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 ただし,AMD社のビジネスがこれを契機に有利に展開できたというわけではない。1995年にIntel社とAMD社が和解したときの条件から,AMD社はIntel社のSlot1/Socket 370といったインターフェースをそのまま利用することはできなくなった。しかも,K6の性能はPentium II/IIIと同等程度といったところで,これを上回る性能を出すというところまでは来ていない。さらに言えば,Socket 7のプラットフォーム自体の陳腐化が進んでおり,そろそろプラットフォーム更新の時期を迎えていた。

「K7」で市場シェアを伸ばす

 そこでAMDが1999年に投入したのが,全く新しいアーキテクチャを採用した「K7」である。最大3命令同時実行のスーパースカラや,サーバー用途を強く意識した回路構造などを特徴とするK7は,0.18μmと当時としては最先端の微細プロセスを導入したことと相まってPentium IIIと互角以上の性能を引き出すことに成功した。動作周波数もPentium IIIに完全に追従できた。AMD社は,これを契機にデスクトップ向けマイクロプロセサ市場でのシェアを大きく伸ばす事に成功する。

 ところで当時のAMDの悲願は,ASP(Average Sales Price)を何とか$100以上に引き上げる事だった。ところがデスクトップ向けだけだと,どうしても最後は価格競争になってしまい,なかなかASPが上がらない。そこで,2001年にはAMDも,サーバー向けの「Athlon MP」,デスクトップ向け「Athlon XP」,モバイル向けの「Mobile Athlon 4」とブランドを分けると同時に,製品ラインナップを分化することに踏み切る。またIntel社の「Celeron」の対抗製品として,Athlon/Athlon XPをベースにL2キャッシュや動作速度を制限した「Duron」というブランドを立ち上げる。