視聴制御やコピー制御を目的とした従来のDRM技術の限界が見えてきた。コンテンツの海賊行為の防止に権利者が満足できるほどの効果を持たない一方で動画共有サイトに代表されるインターネット上の新しい活動を阻害してしまうからだ。「コンテンツをより多くのユーザーに届けたいが,それが生み出す価値は低下させたくない」。権利者のこうした閉塞感を打開するのは,コンテンツの新しい流通形態を実現する技術だ。従来の発想を超えて,新しいDRMの枠組みを用意する必要がある。(本稿は,日経エレクトロニクス,2008年3月10日号,pp.54-55から転載しました。内容は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

  暗号化を施さない音楽配信の台頭,地上デジタル放送を自由にコピーできる装置の登場,違法行為スレスレの動画共有サイトの興隆…。映画や音楽といったコンテンツの流通が,混迷の度合いを深めている(「DRM崩壊の序曲(PDF版)」を参照)。

 その原因は,はっきりしている。コンテンツや機器のデジタル化とインターネットの登場である。この二つの技術革新は,無劣化で高速なコンテンツのコピーと,世界に向けた情報発信の手段を,一般のユーザーが利用できる程度まで大幅に低コスト化した。この結果,コンテンツの流通においてユーザーの地位が向上した。その一方で,コンテンツを制作するクリエーターや,それをコピーして販売するメディア企業といったいわゆる「権利者」が苦境に立たされる局面が増えた。

賞味期限が近い現行のDRM

 明らかになっている問題は二つある。一つは,権利者の利益を守る技術として登場したDRM(digital rights management)の将来が危ぶまれていることだ。流通させるデジタル・コンテンツにすべからく暗号化処理を施す。それによって,対価を支払ったユーザーだけに視聴やコピーを限定し,「ただ乗り」を防ぐのが,これまでのDRMの考え方だった(図1,別掲の「DRM早わかりマップ」参照)。だが,この構想が将来的に実現する可能性はかなり低い。DRMによる利便性の低下がユーザーから大きな反発を受けているうえ,DRMの技術が権利者にも信用されていないからだ。これまでのDRMの技術の多くは結局,破られており,コンテンツを盗む「海賊行為」を権利者が満足できるほど防ぎきれていない現状が背景にある注1~2)

図1 「お金を払った人しか見られません」 デジタル・コンテンツの流通ではこれまで,適切な対価を支払った人だけが見られるように強固な囲いを設けることに注力してきた。だが,その囲いのすきを縫ってコンテンツを盗もうとするユーザーが後を絶たなかった。(イラスト:まつもと政治)
図1 「お金を払った人しか見られません」 デジタル・コンテンツの流通ではこれまで,適切な対価を支払った人だけが見られるように強固な囲いを設けることに注力してきた。だが,その囲いのすきを縫ってコンテンツを盗もうとするユーザーが後を絶たなかった。(イラスト:まつもと政治) (画像のクリックで拡大)
注1) ある権利者団体の関係者は「メーカーはDRMに未来があるように言うが,全く信用できない。DVDがそうであったように,どのようなDRMもいずれ破られてしまうだろう。『フリーオ』はそのいい例だ」とぶちまける。

注2) 例えば,DVD-VideoのDRMである「CSS」は当時16歳だったJon Lech Johansen氏らが開発した「DeCSS」によって1999年に破られた。Johansen氏はその後,Apple社のiTSが販売する楽曲データにかけられたDRM「FairPlay」を解除するソフトウエアを開発している(同氏のインタビュー「誠実なユーザーほど損をするのはおかしい」参照)。