前回までのあらすじ
2001年10月23日。Apple社は,iPodの製品化を発表した。わずか9カ月の突貫工事で発売にこぎ着けたことに,開発メンバーは興奮を隠せなかった。しかし,世間の反応は冷ややかだった。それでもApple社はあきらめることなく,後継機種の開発に取り組んだ。(以下の本文は,『日経エレクトロニクス』,2004年7月5日号,pp.182-183から転載しました。メーカー名,肩書,企業名などは当時のものです)

Doing Windows

 第2世代機の最大の特徴は,Windowsへの対応である。Apple社は,iPodを独立したビジネスとして育てることを,ついに決断したわけだ。iPodの市場を広げるには,Windowsへの対応は必要不可欠だった。

 Apple社の狙いは,Macintosh向けのiPodと寸分たがわぬ「体験」を,Windowsパソコンのユーザーにもたらすことだった。現在Apple社でDirector of Product Marketing,iTunesを務めるChris Bellは回想する。「Macでうまくいったことを,そのままWindowsプラットフォームで再現しようとした」。

 現実には,事はそう簡単でなかった。iPodを Windowsに対応させる仕事は,開発チームに頭痛の種をまき散らした。Apple社がすべてを支配できるMacintoshと異なり,自社の力が及ばないプラットフォームの上に製品を作り上げるのは想像以上に厄介な作業だった。「Windowsで何か問題にぶつかったとき,Windowsを変えるわけにはいかない。Bill GatesやMichael Dellに電話して,ここが間違ってるから直してほしいって言えるわけじゃないんだ」(Joz)。

 とりわけ開発チームを悩ませたのは,際限のない互換性のテストである。製造メーカーごとに実装の仕方が異なることが,開発陣を弱らせた。「WindowsマシンはWindowsマシンじゃないし,Windowsマシンでもない。DellやHP,台湾のメーカーはみんな違う。みんな正しいことをしてるんだけど,全然違うやり方でなんだ」(Joz)。

 問題をさらに面倒にしたのが,Apple社のジュークボックス・ソフトウエア「iTunes」を使わなかったことだった。Apple社は,市場への早期投入を優先し,iTunesの代わりにサード・パーティー製のソフトウエアの利用を決めた。既に市場に出回っていた米Musicmatch,Inc.の「Musicmatch Jukebox」である。Apple社はMusicmatch社と協力して,Musicmatch JukeboxにAuto-Syncの機能を組み込んだ。