前回までのあらすじ
Apple社は,東芝の1.8インチHDDやソニー福島のLiポリマ2次電池といった,日本メーカー製の部品を用いてiPodを小型化した。同社のマーケティング担当者は,「間違いなく,僕らはソニー以上にソニーらしいことをした」と振り返る。iPodの開発が終盤に近づくにつれて,異様な興奮がApple社を覆っていった。(以下の本文は,『日経エレクトロニクス』,2004年7月5日号,pp.179-181から転載しました。メーカー名,肩書,企業名などは当時のものです)

 抜けるように青い空だった。2001年10月23日。カリフォルニアの乾いた空気を切って,報道関係者は車を飛ばした。目指す住所は1 Infinite Loop(無限ループ)。米Apple Computer,Inc.の本社がそこにある。

 記者たちが抱く期待は大きかった。

 米国経済は,ITバブルの崩壊の余波から脱していなかった。それどころか9月11日,追い打ちをかけるように同時多発テロが襲った。一時は厳戒体制に置かれたシリコンバレーを,常と変わらぬそぶりで行き交う人々の表情には,今でも暗い影が差していた。

 だからこそ,誰もが新しい光を求めた。垂れ込めた閉塞感を突き破る何かを待ち望んだ。そこへ舞い込んだのが,Apple社の招待状だった。「画期的な新製品」を発表するという。Apple社は,Macintoshを中心に多様なデジタル機器が自在につながる「デジタル・ハブ」構想を打ち出したばかりだった。ベールを脱ぐ製品は,構想の中核を担うはずだった。

 Apple社の敷地内にあるホールに報道陣が参集した。映画館ほどの会場の,すり鉢状に下った床の先にステージがある。100人を下らない聴衆は,未来を変えるかもしれない発表の瞬間を,固唾をのんで待ちわびた。

We Just Don’t Know

 「Macを中心にさまざまなデジタル機器が簡単につながる世界を提案したい。そのための第一歩として,携帯型音楽プレーヤを選んだ」。