前回までのあらすじ
「体験を作り出す」という発想に基づいて,開発チームはiPodの仕様を固めていった。ブレーンストーミングの中から,カーソルの移動に使う部品「スクロールホイール」が誕生し,パソコンとの接続にIEEE 1394を使うと決めた結果,楽曲の転送と本体の充電を一本のケーブルでできるようになった。(以下の本文は,『日経エレクトロニクス』,2004年6月21日号,pp.235-237から転載しました。メーカー名,肩書,企業名などは当時のものです)

 「記録的な6カ月(record 6 months)」。「iPodの父」の1人とされる米Apple Computer,Inc.のTony Fadellの履歴書にこうある。製品のコンセプトが固まってから,実質6カ月でiPodは出来上がったという。

 Apple社は全社の能力を結集して,この難問に挑んだ。しかし,それだけでは足りなかった。iPodのすべての構成要素を,これだけの短期間で一から用意するのは不可能だ。

 Apple社がiPodの開発で外部のメーカーと協力したことは,エレクトロニクス業界ではよく知られている。Tonyの履歴書にも,それをにおわす記述がある。技術ライセンスの交渉相手として,LSIメーカーの米PortalPlayer,Inc.,ソフトウエア開発の旧・米Pixo,Inc.,液晶パネルのオプトレックス,そして1.8インチ型ハード・ディスク装置(HDD)を手掛ける東芝の名が並ぶ。iPodの製造を依頼したのは,携帯電話機やPDAなどを設計・製造する台湾Inventec Appliances Corp.だという。

Welcome to Apple California

 ただし,Apple社に向かってアウトソーシングの話題を持ち出すのは,腫れ物にあえて触るようなものだ。Apple社は,他社との共同開発の詳細を公式には全く明らかにしていない。iPodのチームは,開発のほとんどは自社で済ませたと断言する。外部に委託したのは,社内では手が回らない「穴」を埋めるためで,もちろん仕様はすべてApple社が決めたとする。