携帯型音楽プレーヤー「iPod」は,パソコン企業だった米Apple社をデジタル家電の台風の目に変えたばかりか,人々の音楽の聴き方やライフスタイルにまで影響を及ぼした。この物語は,その開発の裏側を追ったものである。そこには,後にiPhoneやMacBook Airを生むに至った,独特な開発手法や企業文化が垣間見える。(以下の本文は,『日経エレクトロニクス』,2004年5月24日号,pp.214-216から転載しました。メーカー名,肩書,企業名などは当時のものです)

 最初にいたのは,たったの2人だけだった。1人がマーケティング,もう1人は技術の担当である。この2人に,携帯型音楽プレーヤの市場調査の命が下った。2001年初めのことだ。

 その年のクリスマス・シーズン。わずか9カ月余りで,製品が店頭に並んだ。製品の評判は上々だった。ただし売れ行きについては,世評が相半ばした。同社として全く経験のない分野への進出に,失敗をほのめかす意見もあった。

 それから2年半。2人が礎を築いた事業の成功を疑う声はもはやない。2004年第1四半期の売上高は,2億6400万米ドルに達した。出荷台数は80万 7000台。同社の主力製品であるパソコンの台数を上回る。彼らの製品のヒットは,1社の窮地を救っただけでなく,人々が音楽を聴くスタイル,そして楽曲を買い求める手段までをも変えつつある。

 iPod。これはその誕生の舞台裏である。社内の事情を秘して語らない米Apple Computer,Inc.が,重い口を開いて明かした開発の軌跡である。

Late to Market

 2001年初頭。Apple社は,活路を求めて暗闘していた。20世紀の最後の数年に同社の決算を彩った「iMac」の威光は,既に消えつつあった。 2000年10月~12月期,同社は1億9500万米ドルの損失を計上した。売上高は10億米ドル。前年同期と比べて57%も減った。

 苦境にあえぐ同社は,今後の成長を見込める分野として音楽関連市場に触手を伸ばした。2001年1月に開催したMacworld Conference & Expoで,Apple社は第一弾の製品をお披露目する。Macintosh向けのジュークボックス・ソフトウエア「iTunes」である。