彼らは開発途上のiTunesを使って,自分たちのCDコレクションをパソコンに移し始めた。その中から好きな曲を選んで,持ち運べるプレーヤで聴きたいと願うのは,ごく自然な欲求だった。Stan自身,携帯型音楽プレーヤを4つか5つ買ってみた。いずれも満足には程遠い。

 ここに,彼らは潜在的な市場の存在をかぎ分けた。しかも,そこではApple社の強みを生かせそうだった。使いやすいユーザー・インタフェース,ハードウエアからソフトウエアまで1社ですべてを手掛けていることなどである。「我々の経験を生かせば,ずっといいプレーヤを作れると,2001年の初めころにはみんなが思い始めていた」。

Hard to Say No

 Stanともう1人の技術者に“skunk works(秘密の仕事)”が割り当てられたのは,2001年2月ごろである。Stanは,現在同社でSenior Vice President of World Wide Marketingを務めるPhil Schillerに口頭で指示を受けたらしい。Apple社は明言を拒むが,決定の背後に同社のCEO,Steve Jobsの意向があったことは想像に難くない。

 彼らの任務は,携帯型音楽プレーヤの市場にApple社が参入する余地があるかどうかを調査することだった。事細かな作業内容の指示はなかった。市場に出回る音楽プレーヤを調査し,Apple社が革新的な製品を作り出す可能性を探れとの要求だ。

 「僕らの会社にとって一番難しいのは,ノーと言うことなんだ」と,Stanは繰り返し語る。Apple社には,歯ブラシから車まで,ありとあらゆる製品を作ってほしいという要求が始終舞い込んでくるという。ノーと言うには,それなりの理論武装が必要になるわけだ。

 もちろん,最後にイエスかノーかを判断するのは,経営陣の仕事である。Stanは,経営陣の決定に絶大な信頼を寄せる。「この5~6年,特にSteve が経営に復帰して以来,Appleはちょうどいいタイミングでノーと言ってきたと思う」。Stanらが求められたのは,経営陣が決断するために必要にして十分な情報を集めることだった。トップが正しい判断を下す前提は,決定を裏付けるに足る完全な情報の提示である。2人に加わるプレッシャーは,並大抵ではなかった。