米国議会の上院と下院が概ね同様の特許法改正法案を提出しているが,いまだ改正法案が制定されるには至っていない。米国議会はサブプライム・ローン問題による経済の失速を防ぐための対策に追われ,特許法改正どころではなかったようだ。また,改正法案の各条項に対して反対の動きが盛んで,各界から法案修正が要求されている。

 2008年2月,ブッシュ政権は改正案に対し,否定的な見解を表明した。先願主義も含めて概ね上院法案を支持するものの,以前から議論の多かった損害賠償額の算出方法に関して,曖昧な点が多くかえって混乱を招き,技術革新の意欲を妨げるとし,強く反対している。またそのほかの点に関しても曖昧な要素が多いので,より明確にすべきとの見解を示した。

 現行法は,損害賠償額は「適切なロイヤリティ(reasonable royalty)」以下としないように定めている。現改正法案では適切なロイヤリティの計算方法として以下の3つの方法を用意した。

(1)特許を侵害した製品の市場での競争力が,ほとんどその特許技術によるものであることを示せれば,損害額は特許を侵害した製品の市場価格に等しいとして計算する方法。

(2)侵害された特許に関して,仮に侵害者以外の他者と妥当な非独占的ライセンス契約を結んだとして,侵害者の特許権使用の度合いが,その非独占的ライセンス契約下での使用とほぼ同等ということが示せれば,その非独占的ライセンス契約のロイヤリティを損害賠償額とする方法。

(3)特許を侵害した製品の市場価値のうち,その特許技術を直接用いた部分のみの経済的価値を損害額とする方法。1と2の方法が適用できない場合に用いる。侵害製品において,特許技術と公知技術の組み合わせで新たな付加価値が生まれている場合,特許技術を組み合わせたことでその付加価値が成立したことなどを示せれば,その付加価値分も損害額に含めることができる。

 しかし,改正法案はあくまで理想論としての損害額の計算法を提示しているに過ぎず,ブッシュ政権が指摘したように,具体的な評価基準が示されていないだけにかえって個々の裁判で混乱を招きかねない。

 1の方法の場合,実際にどの要因がどれだけ製品の競争力に寄与しているかを証明するのは決して容易ではない。製品の市場競争力は,特許技術だけでなく,ブランド力や広告,市場シェアなどにも大きく左右されるからだ。また,2の方法も実際には結んでいないライセンス契約を仮想して計算するため,評価基準がはっきりしない。1や2の方法を適用するための種々の証明に費やす労力や訴訟費用の増大が懸念される。

 そうすると,3の方法を適用するケースが増えそうだが,特許技術に係わる部分のみの経済的価値と市場価値の違いがはっきりしない。また、この方法も付加価値への特許技術の寄与などを証明するのが難しそうだ。結果として,特許侵害した部分のみの価値に相当した分だけが損害賠償額として認められ,賠償額が低く抑えられるケースが増えるだろう。

 確かに,特許を侵害したからといって,妥当な損害額以上の支払いを命じられてはかなわないというムードも産業界にはある。しかし,損害賠償額が下がれば,特許侵害が促進される懸念もある。賠償額の算定は改正案で最も意見の分かれるところであり,なかなか議論がまとまりそうにない。

上院案では特許の価値が不確定に?

 改正法案において,この損害額算定と並んで反対意見の多い条項が,特許成立後にその有効性について特許庁に異議を申し立てる制度である。

 下院案と異なり,上院案には,特許権所有者から特許侵害の通知を受けた後1年以内に,その特許が「重大な経済的損害」を引き起こした,あるいは引き起こすと信ずるに足る理由を示せれば,特許無効の申し立てができるという項が含まれている。これは実質的に,条件さえ満たせば裁判所に訴えることなしに特許が有効な期間にいつでも特許庁に異議申し立てができることになり,特許が成立してもその価値が不安定になる可能性があるとして反対する業界も多い。ただ,異議申し立ての条件である「重大な経済的損害」の定義が示されていないため,実際にどのような場合に申し立てができるのかは不明である。

 さらに上院案には,米国特許庁に与えられる権限の拡大に関する条項が含まれている。公知例のレポートや特許性に関するその他の情報および分析を提出するよう,特許申請者に義務付ける権限を,特許庁に与えるというものだ。本欄の次回で説明するが,このような義務は特許申請者にとっては経済的に大きな負担となり,また特許権の上でも非常に不利になる可能性があるため,反対の動きが出てきている。

 2008年中に特許改正法案は成立するという楽観的な意見もあるが,改正案を修正すべしという意見もこのように多い。残念ながら特許法改正法の最終案がどのようになり,またいつ可決するものか,いまのところは予測がつかない。