図1 円柱状の透明マントの断面。黄色は光の軌跡。それ以外の色の線は,透明マントを構成する五つの媒体の境界を示している。半径1の境界より外側がw1(屈折率n>0),赤色の線と青色の線,x軸で囲まれる領域がR1(屈折率n>0),青色の線と茶色の線で囲まれる領域がR2(屈折率n<0),茶色の線と緑色の線で囲まれる領域がR3(屈折率n>0),紫色の線と緑色の線,およびx軸で囲まれる領域がR4(屈折率n<0)である。図提供:富山県立大学の落合氏
図1 円柱状の透明マントの断面。黄色は光の軌跡。それ以外の色の線は,透明マントを構成する五つの媒体の境界を示している。半径1の境界より外側がw1(屈折率n>0),赤色の線と青色の線,x軸で囲まれる領域がR1(屈折率n>0),青色の線と茶色の線で囲まれる領域がR2(屈折率n<0),茶色の線と緑色の線で囲まれる領域がR3(屈折率n>0),紫色の線と緑色の線,およびx軸で囲まれる領域がR4(屈折率n<0)である。図提供:富山県立大学の落合氏
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図2 図1の中心部の拡大図で,光の軌跡だけをそれぞれ色分けして示した。中心部の光が通らない部分が,モノを隠せる場所である。
図2 図1の中心部の拡大図で,光の軌跡だけをそれぞれ色分けして示した。中心部の光が通らない部分が,モノを隠せる場所である。
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 富山県立大学などの研究者は,屈折率nが負の値になるようにした人工的な誘電体「左手系メタマテリアル」を利用して,電磁波が通過しても反射や位相遅延が全く発生しない「完全な透明マント」を理論的に構築したことを明らかにした。いわば設計図を作ったことになる。左手系メタマテリアルを用いると,反射が全くないレンズ,あるいは完全な焦点が得られるレンズなど,従来の材料では作製困難とされた電磁波の制御デバイスが実現可能になると予測されている。今回の例もそうした制御デバイスの一つといえる。

 透明マントの設計図を示したのは,富山県立大学 工学部 情報システム工学科 講師の落合友四郎氏,および英国スコットランド州のUniversity of St. Andrewsと公立はこだて未来大学の研究者の計3人の研究者。理論物理の学術誌「Journal of Mathematical Physics」に共著の論文が掲載されたもの。論文タイトルは「A novel design of dielectric perfect invisibility devices」である。

 ここでいう透明マントとは,芯または中心部分が中空となった柱状,あるいは塊状の物体で,ある周波数の電磁波の平面波を当てると,平面波が中空部分をう回して物体の後ろ側に抜けていく性質を備えるもの。特に,物体を抜けた電磁波の波面が再び平面波に戻り,物体がない場合の平面波と振幅や位相が完全に一致する場合に,この物体は「完全な透明マント」であると呼ばれる。その周波数の電磁波を当てても何の反射も位相遅延も起こらず,物体の向こう側の景色がそのまま見えるためである。こうした物体の中空部分に何かモノを隠すと,その周波数の電磁波にとっては隠したモノが透明マントごと視界から消えることになる。

五つの媒体を張り合わせる

 今回の透明マント(以下,マント)の設計図について説明する。このマントの形状はおおよそ円柱状をしており,その断面が図1である。ただし黄色の線はマントの形ではなく,このマントを通過する光の軌跡を示す。目盛りは中心からの空間的座標を示す。距離の単位は任意単位である。

 このマントは,屈折率nの値や分布が異なる五つのメタマテリアル(人工的な誘電体)を積み木のように組み合わせたものである。図1において赤色や紫色,緑色や青色の線は,それらの媒体の境界を示している。一番外側の媒体w1は,赤と紫の線で示した円の外側に広がっている。実はこのマントは厳密には明確な外側というものがなく,無限遠に向かってガスのように広がっている。ただし「(図1で)半径5付近がマントの現実的な外縁になると考えてよい」(富山県立大学の落合氏)という。

「ゴルフ・ボールがホールしないグリーン」を設計

 このマントに遠方から「光」を当てると,光は半径3付近から大きく蛇行し始め,屈折率nの不連続面を通りながら再び遠方に抜けていく(図2)。nの不連続面で光は全く屈折しないか,あるいは「く」の字に曲がる形で屈折する。

 マントの芯部分には,光をどの角度から当てても光が通らない。このため,ここに何かモノを置くとそのモノは遠方からは見えなくなる。この芯の領域の半径は,nの最大値や分布の仕方などでも変わるが,図の場合では約0.12である。マントの外縁を半径5と考えても,マントの厚みはかなり分厚いことになる。

 ここで,透明マントであるために重要な役割を果たすのが屈折率nの分布である。光がマントの芯の部分を迂回するのは,屈折率nの2乗の値が芯方向に向かって大きくなるように媒体内部の屈折率分布を設計したためである。

 光にとって屈折率nの2乗という量は,ゴルフ・ボールにとってのグリーンの凹凸のような役割を果たす。ボールを打つ力が同じであれば,グリーン上の山の高さによってはボールが届かない部分が出てくる。

反射も位相遅延も起こらない

 媒体の設計の際には,(1)各媒体の境界で光の反射が起こらないこと,(2)遠方を通過する光に対して,媒体を通過した光に位相遅れが出ないこと,(3)光がマントに近づく前とマントから遠ざかった後で光の方向に変化がない,といった条件を課した。導出の詳細は省くが,nが負の値になる左手系メタマテリアルを一般の材料と組み合わせた図1のような構造にすることで(1)~(3)が同時に成り立つようにした。

 一番外側の媒体w1は屈折率nが正の値をもち,遠方にいくにつれて一般の空間とnが連続的につながる。つまりn=1となる。逆に,遠方からマントの芯方向に近づくと,w1のnは1からゆっくり変化していく。マントの芯から遠い位置ではn=1からのズレは小さく,ある程度近づいてから急にnが変化する。

 残りの4媒体は半径1の内部に納まっており,nが正の値である媒体R1とR3,nが負の値の媒体R2とR4から成る。R1~R4の媒体を張り合わせた面はいずれもnの絶対値が同じで符号だけが逆になる。R1はw1とはnが連続的につながっているが,R4はw1とnの符号が逆になる形で張り合わされている。

従来のマントより作製が簡単に?

 透明マントは2006年ころから多くの研究者が研究しており,既にマイクロ波を想定した実際の開発例もある(NEの関連ブログ)。しかし,従来の透明マントは,反射について十分には考慮されておらず「完全」ではなかった。しかも,屈折率nは正の値のままだった。屈折率が正値の材料だけを使う場合,「Nachmanの定理」という数学上の定理によって「光が複屈折する材料を使わなければ完全な透明マントは実現できない」ことが分かっている。複屈折とは,例え同じ場所でも光の入射方向や波面の方向によって媒体の屈折率が異なる現象を指す。こうした媒体の人工的な設計は非常に複雑になってしまう。

 一方,今回は屈折率nが負になる左手系メタマテリアルの媒体を組み合わせることで,この数学上の制限を回避した。つまり,複屈折する媒体を考える必要がなくなった。これで,仮に可視光全体でnが負になる左手系メタマテリアルを作製できれば,後は今回の設計の通りに媒体を組み合わせるだけで,本当に完全な透明マントが実現する可能性が高まったといえる。

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