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 部下である女性事務員の肖さん(仮名)を探しに,女性作業員の宿舎(以下,作業員宿舎)を訪れた製造部長(第16回参照)。作業員たちが洗濯をした石けん水に滑って階段から転げ落ちてしまったのです。それを見ていた作業員が声を掛けました。

「大変,ケガをしていますね。ちょっと中へ入って休んでいってください」
「いいよ,恥ずかしいから」
「いいから,いいから」

 その作業員は製造部長の背中を押し,部屋の中へ案内しました。製造部長が初めて入る作業員宿舎の部屋。そこには2段ベッドが二つ左右に並んでいて,まるで寝台車のようです。こぎれいに整理された部屋に窓から風が流れ込み,ベッドの奥のカーテンがゆらゆらと揺れていました。そのカーテンのすき間から,作業員の家族と見られる写真が見えました。
 
「どうぞ,そこに座ってください」

 製造部長が写真を見ていると,作業員が紙(恐らくトイレットペーパー)を持って入ってきました。

「ありがとう」

 そう言って表面がザラザラしたその紙を受け取ると,製造部長はそっと傷口を押さえました。

「遠慮しなくていいですから,座ってくださいよ」

 彼女はしきりにベッドの上に座るように勧めてきます。しかし,そうは言われても,仮にも若い女性作業員のベッドに,決してきれいとは言えない作業着のまま座るのはちょっと気が引けます。それでも,あまりにも熱心に勧める彼女に負けて,結局そこに腰掛けることにしました。

「ギシ,ギシギシギシ…」
 
 最近メタボリックが気になる製造部長の体重に,そのベッドが悲鳴を上げました。なんとか座り込むと,布団の下から何かゴツゴツした感触が伝わってきました。何だろうと下を見てみると,端がボロボロになった板がはみ出していました。おまけに敷き布団もペラペラ。フカフカの気持ちよいベッドというイメージはみじんもありません。ベッドというよりも,板の上にタオルケットが敷いてあるだけといった表現の方が正確です。

 ベッドに座ったものの,何を話したらよいか分かりません。8人部屋ですから,ほかにも知らない作業員たちがいて,目が合うとニコニコ微笑みかけてくるのですが,やはり話題が見つかりません。気まずい沈黙の中,部屋の外から作業員たちの元気な声が聞こえてきました。何か話さないと。

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