鍵穴にキーを差し込まなくても,ボタン一つでドアロックが施錠/解錠できる,いわゆる「キーレス・エントリー」。いまや自家用車の多くに標準搭載されている装備だ。実は,キーレス・エントリーは,マイコンが活躍する車載システムの一つ。この装備を初めて搭載した国産車は,1985年に発売されたホンダの「アコード」である。20年以上前に開発された同車のキーレス・エントリー・システムにも,すでにマイコンが使われていた。

 今回,同車に搭載した初めてのキーレス・エントリー・システムの開発に関わった方々に,当時の様子や開発の経緯などについて聞いた。その一人は,ホンダに部品を納入していた三井金属鉱業の技術者(当時)で,開発のキッカケを作った山田眞次郎氏。現在同氏は,3次元CADによる設計,試作や製造システム構築のコンサルティングなどを手掛けるインクスのCEO/代表取締役を務める。さらに,ハードウエアの設計を担当したオムロンの開発チームのメンバーだった山崎修氏と酒井学氏にも話をうかがった。山崎氏は現在オムロンオートモーティブエレクトロニックコンポーネンツカンパニー営業事業部事業部長,酒井氏はオムロン飯田第1開発センタでセンタ長を務める。

<開発のはじまり>すべての仕様を手探りで決定 

図1 日本で初めて「キーレス・エントリー」を装備したホンダの「アコード」(1985年発売)
図1 日本で初めて「キーレス・エントリー」を装備したホンダの「アコード」(1985年発売) (画像のクリックで拡大)

――日本で初めてのキーレス・エントリーは,どのようなシステムだったのですか。

山田氏 アコードに搭載したのは赤外線通信を利用したシステムで,ドアハンドルに設けたセンサーに送信機を向けて,送信機のボタンを押すたびに施錠と解錠を交互に繰り返すというものです(図1)。送信機の大きさはライターと同程度(図2)。受信機やドアロック機構の駆動システムは,ドアの内部に組み込まれていました。

――開発が始まった時の様子を教えて下さい。

図2 キーレス・エントリーの送信機
図2 キーレス・エントリーの送信機 (画像のクリックで拡大)

山田氏 アコードが発売になる約1年前の1984年夏のことです。当時は,三井金属鉱業で自動車に搭載するドアロックの機構系を中心とした設計を担当していました。ある日,自宅でテレビを見ながらリモコンを操作していたときに,リモコンで自動車のドアロックを操作できたら便利ではないかという考えが浮かんだのです。

 早速,取引先だったホンダのチーフ・エンジニアに,このアイデアを話しました。すると,自身が開発を担当していた翌年春に発売予定の車種に向けてならば,採用を検討しても良いと言ってくれたのです。そうなると新車種の装備を審査する会議に提出するために,約2カ月で機能を確認できる試作品を用意しなければなりませんでした。

 この審査を通ったとしても,それから半年ほどの間に,量産まで漕ぎ着けなければなりません。これを実行するのは難しいと見るのが普通です。私もそう思いましたが,この時点でキーレス・エントリーを搭載した自動車は,まだ世界中でも発売されていません。実用化すれば「世界初」の成果です。無謀な考えだと思いましたが,とにかく挑戦することにしました。

 ただし,私は機構系の設計者だったので,電気回路の設計はできません。そこで,この当時ドアの機構部品に取り付けるマイクロスイッチを納入していたオムロンの営業担当者だった山崎さんに相談しました。同社の開発技術者の方々は,開発期間に余裕がないことなどから当初は難色を示していましたが,結局は引き受けてくれました。新しいことに挑戦することを尊ぶ“技術者魂”が,そうさせたのではないでしょうか。無謀ともいえる挑戦でしたが,翌年の5月には日本初のキーレス・エントリーを搭載したアコードを市場に登場させることができました。

ドアロックの電動化を背景に考案

――リモコンと自動車ドアロックが,どうして一つのアイデアに結びついたのですか。

山田氏 その背景の一つにはドアロック機構を電動化する動きが自動車業界で始まっていたことがあると思います。80年代にはいったころから,大型のソレノイドを使った電動式ドアロックが自動車に装備されるようになりました。ところが当時使っていたソレノイドは,ドアの中に入れるには大きく重かった。このため,電動システムの小型軽量化は,ドアロックの設計者だった私にとって課題の一つだったのです。

 まず私は,小型化のためにモーターで機構系を駆動することを考案し,モーター・メーカーの協力を得て,これを実用化しました。いまではほとんどのドアロックがモーター駆動になっていますが,この先駆けだったのではないでしょうか。ドアロック機構をモーターで駆動できるようになると,エレクトロニクスによる制御がしやすくなります。このため,ドアロックで何か新しいことはできないかと考えていました。そのようなときに,リモコンとドアロックが結びついたのだと思います。

――前例のないシステムを,どのように設計したのでしょうか。

山田眞次朗氏 山田眞次朗氏
インクス
CEO/代表取締役
Ph. D. 工学博士

 

山田氏 オムロンやホンダの担当者の皆さんと協力しながら,すべての仕様を白紙の状態から手探りで決めました。検査の基準や検査方法まで,開発メンバーで相談しながら決めたものです。キーレス・エントリーの受信機は,ドアに組み込まれた最初の電装品ではないでしょうか。ドアは,高温になるのはもちろんのこと,開閉の度に衝撃を受けます。しかも,洗車や雨天のときに内部に水が侵入することも考えなければなりません。電子機器にとって厳しい条件がいくつも重なっています。一方,送信機の設計についても,開発メンバーの誰もが初めての課題に数多く直面しました。送信機はドライバが携帯するものですが,自動車向けの電子機器で携帯を前提に設計する機器は,当時はまだなかったと思います(<設計の背景>は次のページ)。