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 中国工場で働く作業員には,日本人には信じられないほど厳しい人事が行われることが珍しくありません。罰金や始末書で改善が見られない場合,解雇というカードを実に簡単に切り出します。中国工場の中国人の各部門長などの管理職から,なんと名指しで解雇依頼が日本人の管理職に対して上がってくることすら日常茶飯事です。

 ところが,こうした中国人の管理職から提案される解雇依頼には不条理なものが含まれていることがあります。最悪の場合,「冤罪」で作業員を解雇するはめに陥ることすらあるのです。この背景には,日本人の管理職が内情を把握することは非常に難しいことに加えて,中国人の管理職と作業員の間に割って入ることは望ましくないと考える日本企業側の判断もあります。そのため,日本人の管理職は直属の部下,すなわち,中国人の管理職の主張を信じざるを得ず,作業員を解雇するという苦渋の決断を下さなければならないという現実があるようです。

 実は私自身も,かつて製造部長を務めていた日本メーカーの中国工場で作業員の解雇依頼の問題に直面したことがあります。名前が挙がったのは易さんという中国人の女性作業員。生産ラインで製品に板ばねを取り付ける作業を担当していました。

 易さんは大変まじめな性格なのですが,なぜか不良品をたくさん出すという評判を私は耳にしていました。後工程である検査工程で何度も易さんの作業が原因の不良が発見されていたため,彼女を管理する立場にある班長の楊さん(仮名)に目を付けられていました。

 ある日,その班長が怒り心頭に発して声を荒立てました。

「易さん,何回言ったら分かるのですか! もう許さない。ちょっとこっちに来なさい!」

 班長は易さんが造った不良品の現物を見せながら彼女をしかりつけています。

 「これで何回目? 前回は罰金,その前は始末書。今回は一体どうするつもりですか!」

 易さんの代わりにラインアシスタントに板ばねの取り付け作業を任せた班長は,易さんを連れて課長の周さん(仮名)がいる部屋に向かいました。その部屋に彼女を押し込むと,班長は課長に事情を報告し始めました。そして,その報告を聞き終えた課長は,あっさりとこう言い放ちました。

「またか? もうクビにするしかないだろう。作業員の見せしめの効果もある。解雇通知書を準備してくれ」

 思いも寄らぬ厳しい決断に動揺する易さん。彼女ができることは,ただ涙を流すことだけでした。その様子を遠巻きに他部門の中国人の管理者が眺めています。

「易さん,かわいそう」
「仕方がないよ。同じ不良を何度も出したんだから。」
「それにしても厳しすぎるのでは? その作業がうまくできないなら別の工程に移すとか,ほかの方法もあると思うけど…」
「でも,何度注意されても同じ不良を繰り返す作業員は,結局,注意力が足りないということだから,どこの工程へ行っても同じことだろう。もっと大きな問題を出す前にこの会社を去ってもらうのも,彼女にとってはよいことかもしれない」
 
 トラブルを頻繁に引き起こす作業員に対して解雇という手段を採るか否かについては,会社の中でも賛否両論がありました。しかし,最終的には中国人の最高責任者の意向で,この中国工場では解雇するという慣行をこれまで採っていました。課長があっさりと決定したのは,この慣行に従ったからです。

 こうして,班長が準備した解雇通知書を手にした課長は,製造部長である私のところにやってきました。

「部長,作業員を1人解雇したいので,許可を願います」
「周さん,いきなり解雇とは物騒ですね。一体何があったのですか」
「はい。この易という作業員は,私が担当する生産ラインにおいて板ばねの取り付け作業を行っております。ところが,これまでに何度も板ばねを変形させ,不良品を出してきました。私が再三注意したのですが,どうしても直りません。この作業員は生産ラインの仕事には向いていないと思います」

 解雇以外に方法はないと熱くなる周さんに気圧されそうになりながらも,こうした重い問題こそ慎重に対処しなければならない感じた私は,易さんの履歴を調べることにしました。

「易さんは入社3年目で,これまでにねじ締めとはんだ付け,グリス塗布の作業経験がありますね。そして,確かに不良多発で始末書と罰金の履歴が残っています。でも,ちょっと待って。こうした不良と罰則は最近発生したものばかりですね。ひょっとして,作業員に最近何か変化があったのですか?」
「それは…,分かりません。でも,いつも問題が見つかると,そのときは素直に謝るそぶりを見せるのですが,反省はその場限りで,すぐにまた同じ問題を繰り返してしまうのです」
「分かりました。それではちょっと面接してみましょう」
「ダ,ダメですよ,部長! そんなことをしたら情が湧いてしまいます。ここは私の判断に任せてください」
「もちろん,周さんの判断は尊重しますが,5分で構わないのでお願いします」
 面接することを渋々了解した周さんとともに,私は易さんがいる部屋に向かいました。

 部屋に入ると,真っ赤に目を腫らした易さんがいました。ここで周さんに退席してもらい,私は彼女と2人きりで面接を開始しました。

「やはり,私は解雇ですか?」
「まだ決まっていません。その前に,まずはあなたの話を聞きたいと思ってここに来ました。今回の不良はどうして発生したのですか?」
「分かりません。私は懸命に仕事をしています」
「あなたがまじめに働いていたのは知っています。それよりも,どうして板ばねが変形してしまうのでしょう?」
「それが私には分からないのです」
「でも,過去に何度も同じ不良を出し,そのたびに班長たちから指導を受けたのですよね?」
「はい。板ばねは無理に力を入れないように丁寧に扱いなさいと言われ,そのように作業をしていました」
「そうですか」

不良の本当の原因は…

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