-著作権の研究者の中では「著作権は財産権である」という考え方が主流のようですね。

  私は一貫して,著作権は財産権ではなく,排他的独占権にすぎないと主張しています。反主流派かもしれません。しかし主流派による「財産権である」という主張は,たかだか200年ちょっとの話でしかありません。私は延べ600年以上に及ぶ著作権法の歴史を研究したことで,18世紀に理屈が変わったことが分かったのです。「創作者は天才である」などと主張する人たちが出始めたことで著作権法がねじ曲がり始めた。それ以前は,創作物の複製を生産して販売する事業主体-私は「メディア企業」と呼んでいます-が社会的に必要であると認め,その利害を調整するための法律にすぎなかったのです。

  著作権が財産権ではないとの理解に立てば,「失われたかもしれない利益」を補償する必要はありません。補償金などと言わずに,「複製機器によって従来のビジネスが脅かされている人をソフトランディングさせるための利益分配制度だ」と正直に説明すればいいのです。それが著作権法の長い歴史にも見合った考え方だと思います。

-利益を透明で効率的に配分する方法はあり得るのでしょうか。

  私的複製の対価を税や課徴金のような制度で一括徴収し,創作者への配分を,ユーザーが決定できるようにすればいいと私は考えます。

  コンテンツの評価軸は「どれだけ感動を覚えたか」「どれだけ役に立ったか」でしょう。しかし,それは外部から測定できない。そこで1年に1回などのタイミングで,どの創作者にどの割合で配分するかを,ユーザーの投票などで決める。このやり方なら,タダでコンテンツを集めるフリー・ライダーは存在しないことになる。

  対価の配分をユーザーが決められる世界を想像してみてください。創作者たちは投票に自分の名前を書いてもらうことが大きな目標になり,露出を増やしたがります。より質の高いコンテンツを,より多くの人に見てもらうことを創作者が志向し,コンテンツの製作・流通における正のスパイラルが生まれるはずです。

  一時的には,今の職業創作者の一部は収入が減るかもしれません。しかし,メディア企業が認定する「創作者」だけを保護する制度ではおかしい。知的活動をするすべての人が創作者なのです。アマチュアだけれども優れた作品を作った人に配分が行くようになる姿こそが正しいと思いませんか。

インタビューを終えて

 インターネットなどによってコンテンツの流通形態が変わる中,「現行の著作権制度は時代遅れだ」といった意見が聞こえてきます。インターネットの動向にも明るい白田氏は,あちこちの講演会やメディアに引っ張りだこで,その鋭い分析には定評があります。本誌では初めてのインタビューでしたが,「技術者が読む雑誌だと聞いて,技術者に伝えたいと思っていることをしっかりまとめてきました」と,並々ならぬ熱意で質問に答えてくださいました。

 インターネット時代の著作権制度の在り方を聞いていると,白田氏の説明は長い歴史の中で脈々と続いてきた著作権法の“本質”へとつながりました。新旧のメディア産業間での利害の不一致は幾度となく繰り返されてきたことであり,技術の進化で新しいメディアが登場したからといってその本質が揺らぐものではないといいます。変化が激しい時代こそ本質に立ち返るべきであること,そしてその本質を忘れて議論してしまう危うさを強く感じました。(竹居)

プロフィール
白田 秀彰(しらた ひであき)
 1997年3月に一橋大学大学院博士後期過程の単位修得。法政大学 社会学部 専任講師などを経て,2001年より同学部 准教授。2006年7月から内閣府知的財産本部「デジタルコンテンツの新たな法制度に関する研究会」の委員。2007年10月に設立された「MiAU(インターネット先進ユーザーの会)」の発起人の一人を務めるなど,著作権法の専門家として多方面で活躍する。法学博士。なお白田氏は,著作のほとんどを自らのWebサイト「白 田の情報法研究報告」で公開している。

 日経エレクトロニクスはこれまで折に触れ,コンテンツ産業の動向やコンテンツの著作権に関するルールや技術について取り上げてきました。以下は,ここ1年ほどの間に日経エレクトロニクス誌に掲載したおもな関連記事です。ご一読いただく機会を作っていただければ,と思います。