シンセンの工場街の昼下がりはとても活気に満ちています。彼女たちはそんな工場街の商店に並ぶ品物を見ながら歩いていきます。しばらくすると,人だかりが見えてきました。

「何だろう?」
「行ってみようよ」

 不思議に思った2人は,その人だかりの方に歩み寄りました。そこは郵便局の窓口の前。彼女たちと同じ作業服を着た作業員がたくさん集まっています。しばらく見ていると,彼らがここに来た理由が分かりました。彼らの多くが地方からの「出稼ぎ組」。それゆえに,少ない給料から貯金したり,家族がいる故郷へ仕送りをしたりするために,郵便局の前で長い列を作っていたのでした。それを知った白さんも家族のことが心配になってきました。

「私,やっぱり服を買うのをやめる」
「どうしたの? あんなに楽しみにしていたのに」
「だって…」

 白さんは,四川省にいる妹から数日前に届いた一通の手紙を思い出していました。4歳違いで中学校に通っています。シンセンに来てから毎日とても忙しく,家族に手紙を書くこともできなかった彼女は,その手紙を見るなり田舎の風景と家族の顔を思い浮かべました。

「ニーハオ姐姐(注:お姉さんの意味),お姉さんが家を出てからもう1カ月もたちました。お母さんは毎日寂しそうで,夜になるとよく泣いています。私もお姉ちゃんがいなくなってとても寂しいです。お父さんは相変わらずです。毎朝早くから農作業に出かけるいつも通りの生活をしています。みんな元気なので安心して下さい。
 それから,私が学校で使う消しゴムがなくなってしまいました。お姉ちゃんはここを出発する前に私に約束してくれましたよね。色鉛筆やきれいなノートを一杯買ってきてくれるって。私,とても楽しみにしています。それじゃあまた。
白麗(仮名)」

 妹からの手紙の内容を思い出した白さんは,自分の服を買うのをあきらめ,故郷にいる両親や妹に仕送りすることにしたのです。

 私の直接の部下で,同じく日本メーカーの中国工場で勤務していた作業員の千さん(仮名)は,あるとき次のような話をしてくれました。千さんには10歳離れた妹がいて,その年に大学を卒業する予定でした。その妹さんに対し,千さんは「妹は,私に絶対逆らうことができない」と断言するのです。理由を尋ねると,千さんはこう言いました。「だって,家がとても貧しかったため,彼女の高校の学費も大学の学費も,この工場で働いて稼いだ私の仕送りでまかなってきたのですから」。

 それを聞いた私ははっとしました。工場で品質や効率,コストの問題と必死になって戦ってきましたが,現場で働いてくれる作業員たちにそうした生活や人生があることなど考えたこともなかったからです。中国工場では,給料がより高いという他社の情報が流れたり,生産調整などで残業時間が少なくなって手取りが減ったりすると,離職者が増えるという現実があります。この背景には,「将来のことよりも,今すぐ現金がほしい」という切実な事情を抱えた作業員が少なくないからです。次回へ続く

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