家電機器や通信,コンピュータ,ソフトウエア,コンテンツなど,従来は個別の「業界」を構成していた企業群が,デジタル化とネットワーク化という2つの大波を受けて変革を迫られている。今回は『未来予測レポート デジタル産業2007-2020』(田中栄・西和彦著,発行:日経BP社)の発行を機に,ソニーの元会長兼CEOでクオンタムリープ代表取締役の出井伸之氏に,西和彦氏(ITNY 代表取締役マネージング・ディレクター)が問いかける形でデジタル産業の動向について対談していただいた。

 その内容を全4回に分けて連載する。今回はその初回である。(以下,敬称略)

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【西】出井さんはアナログとデジタルの両方の時代を体感されてきたわけですが、やはり違いは大きいですか?

【出井】全然違いますね。デジタルの時代は変化のスピードがものすごく速い。日本はそうなる前、つまりは1985年ころが頂点だったのではないでしょうか。要するに「トランジスタ・エレクトロニクス」とでもいう世代ですね。それから後は「CPUエレクトロニクス」になってしまう。アナログの時代には、世の中の流れがゆっくりで、変化の波もうねりに似て大きかった。けれど、今は波というよりパルス。ピッと上がって、ピッと落ちる。企業の寿命だってどれだけあるかわからない。今はそんな時代ですね。

【西】マイクロソフトとソニーが競合し、コンピュータとゲーム機がぶつかり合う時代ですから。


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【出井】マイクロソフトのビル・ゲイツは昔、コンピュータで何でもできると信じていたようだけど、できなかった。だからゲーム機を作らざるを得なかったんですね。ビル・ゲイツのことを世評では天才と言うけれど、もちろん彼とて何でもわかるわけではない。インターネットだって当初はあまり熱心ではなかった。後で気付いて、Uターンしてやるわけだけど。もう1つ、パソコンで何でもできるという思い込みがあった。一方のソニーは、テレビで何でもできるなどとは思ってもいない。だから、コンピュータもやったしゲーム機もやった。どっちが賢かったのかな。

【西】結局、マイクロソフトもパソコンだけでなく「Xbox」というゲーム機まで手を広げたわけですが、パソコンとゲーム機では、求められる感性が全然違うのではないでしょうか。

【出井】それはそうですよね。マイクロソフトは、いわゆるブルーオーシャン(無競争の領域)からレッドオーシャン(競争過多な領域)に行かなければならなかったというところに悲劇があるのではないでしょうか。日本企業のAV技術からコンピュータ技術への移行は、レッドオーシャンからブルーオーシャンへの移行を目指したものだったけど、現在はブルーオーシャンと目されていた場所でも行き詰まってきたものだから、またレッドオーシャンに戻ってきている。そんな状況でしょう。

【西】1995年に出井さんがソニーの社長になられたとき「デジタル・ドリーム・キッズ」という構想を全面に打ち出しておられましたが、それはレッドオーシャンからブルーオーシャンへの移行だったわけですよね。でも、そのころのソニーと今のソニーでは、大分方向性が違うのではないでしょうか。

【出井】いや、方向性は変わっていないですよ。皆、勘違いされているようだけど、デジタル・ドリーム・キッズというのは、AVの会社をIT化しようとしたわけではなくて、AVにITを加えて、事業領域を広げ、企業の売り上げをさらに伸ばしていこうということなのです。当時、私はこれに取り組むことで、10年後には約8億円の売上増が達成できると予測していました。実際、ソニーの業績を見てみますと、大体ピッタリでしたね。

【西】ソニーが1990年代半ばにインテルのマイクロプロセサを搭載したパソコンの事業を始めると言ったときに、「インテル製のCPUを搭載したパソコンを、今さらソニーがやってどうするのだろう」と思ったものです。けれど当時、パソコンにデジタル・オーディオとデジタル・ビデオを搭載しようなどと真剣に考えていたのはソニーだけでした。

【出井】そうですね。当時、社内にインテルのアンディ・グローブと出井のプロジェクト、すなわち「GIプロジェクト」を発足させました。パソコンは、作るよりも実際に商売をするのが大変なことなので、インテルに力を借りることにしたのです。彼らは本当によくやってくれて、最盛期にはコールセンターなども含め、約150人もの人材を派遣してくれました。コールセンターはエンドユーザーと直に接する場であり、ソニーはそのノウハウをインテルから学んだのです。

【西】その経営判断の材料になったのは何でしょう?(次ページへ