今村 高 氏

松下電器産業
松下ホームアプライアンス社
経営戦略グループ経営企画室
コーポレートコミュニケーションチーム
チームリーダー
今村 高 氏

 いまや多くの家庭で使われている電気自動炊飯器。消費者が製品を選ぶうえで,最も重視するのが,おいしいご飯が炊けること。炊飯器メーカーは,ご飯をおいしく炊くための「秘訣」を絶え間なく探求し,その成果を炊飯機に組み込んでいる。このために欠かせないのがマイコンだ。そのマイコンを業界に先駆けて炊飯器に搭載したのが松下電器産業である。1979年に業界初のマイコン搭載機「マイコンジャー炊飯器 SR-6180」を市場に投入した。当時の様子を知る同社ホームアプライアンス社経営戦略グループ経営企画室コーポレートコミュニケーションチーム チームリーダーの今村高氏に開発の経緯などを聞いた。

――マイコンを最初に搭載した電気自動炊飯器は,どのような製品だったのですか。

今村高氏(以下,今村氏) ご飯を炊く機能と炊いたご飯を保温する機能の両方を備えた製品でした。マイコンは炊飯と保温の際に内鍋の温度を制御するのに利用しました(図1)。

初代のマイコンジャー

図1 1979年に発売した
「マイコンジャー『SR-6180FM』」
(松下電器産業)

 水で洗った米を炊飯器の内鍋に入れ,スイッチを押せば,鍋の温度を検出するセンサの情報をもとに,炊飯器が自動的に火加減を調整して,ご飯を炊きあげます。火加減の基本となるのは,生活の知恵として日本で古くから言い伝えられてきた「はじめチョロチョロ,中パッパ,ぶつぶつ言うころ火を引いて,赤子なくともふたとるな」。この言い伝えにある手順に沿って,時間の長さ,あるいは鍋の温度によってヒーターに加える電力を加減(図2)。ご飯が炊きあがると,内鍋の温度を適度に維持します。こうした一連の制御に4ビット(18ピン)のマイコンを使っています。 マイコン制御によって,一段とご飯をおいしく炊けるようになりました。大きな炊飯量に対応した炊飯器で,少量のご飯がおいしく炊けるようになったのもマイコン制御のおかげです。

図2 マイコン搭載炊飯器の動作 図2 マイコン搭載炊飯器の動作(クリックしたら拡大します)

――それまでの電気自動炊飯器は,どのような仕組みで制御していたのでしょうか。

今村氏 それまでは,スイッチを入れるとヒーターに一定の電力を加えて内鍋を一気に加熱し,内鍋がある温度に達するとヒーターに供給する電力を切るといった簡単な制御しか行なわれていませんでした。当初,この制御に使われていたのはバイメタル・スイッチです。バイメタル・スイッチは,2枚の熱膨張率の異なる金属板を貼り合わせたもので,ある温度に達すると板が曲がる性質を利用して電極を接続したり,遮断したりします。ところが,スイッチが作動する温度が不安定で,ご飯の炊きあがりにもムラができてしまうという問題が,なかなか解消できませんでした。

 その後,フェライトが熱によって強磁性体から常磁性体に変化する性質をスイッチの制御に利用するシステムが開発され,温度制御の精度は飛躍的に向上しました。ただし,昔からの言い伝えにあるように細かく火加減を調整できるようになったのは,マイコンを導入してからです。

――発売後の市場や業界の反応はいかがでしたか。

今村氏 発売当初は,比較的高額だったこともあり,マイコン搭載器の販売台数はそれほど多くはありませんでした。その後,販売台数は徐々に増えました。その一方で,競合メーカーが相次いでマイコン搭載機を発売しています。

「ハイパフォーマンス炊飯器」がキッカケ

――マイコン搭載機が生まれた経緯を教えて下さい。

今村氏 開発が始まったのは,発売の約2年前のことです。ただし,マイコンを採用することを決めたのは,それから1年後。つまり製品が登場する約1年前のことでした。当初からマイコンを使って火加減を調整することを目指していたわけではありません。マイコンを使うことすら視野にはありませんでした。

 ことの始まりは当時の上司の発言だったように思います。そのころ私は,炊飯器など電化製品を担当する研究所の傘下にあった「開発企画課」に在籍していました。開発企画課は,研究所で生まれた技術の市場性を調査したり,独自の企画を研究所に提案したりする部署です。そのときの上司が,突然に「ハイパフォーマンス炊飯器を企画できないか」と言いました。ところが,「ハイパフォーマンス」という以上の具体的な指示はなかったのです。とにかくご飯をおいしくすることを目標に,炊飯の仕組みや,調理に関する科学など勉強を始めたわけです。

 それと部署のメンバーなどと協力して,ご飯をおいしく炊くプロセスなどの検討を続けるなかで,炊飯量に応じて最適な加熱プロセスが異なることが分かってきました。そこで,考案したのが炊飯量に応じて加熱の仕方を変えられる炊飯器です。実際に,研究所に依頼して実動機を試作しました。この炊飯器は,炊飯量(合数)に応じた複数のスイッチを操作パネルに並べ,ユーザーが炊飯量に合ったスイッチを選択するというものでした。

――その時点でマイコンを採用する考えは浮かばなかったのですか。

今村氏 思いつきませんでした。当時はマイコンの知識を持っている技術者は,電化の分野にはごく限られた範囲にしかいませんでした。マイコンを採用する考えが出てくるのは,この後です。

 私たちが試作器を担当事業部の技術部門に持ち込んだところ,当時技術部門の責任者に一つの問題点を指摘されました。消費者がスイッチを間違えて選んでしまう可能性があるということです。これが問題だとすると,炊飯量を自動的に判定する仕組みが必要になります。そこで事業部の技術部門,研究所などの技術者が集まって自動判定の仕組みを検討することになりました。

消費者のニーズありきで開発

――その検討会の中でマイコンを使うアイデアが生まれたのですか。

今村氏 そうです。検討会の席ではさまざまなアイデアが出ましたが,なかなか解決の方向が見えませんでした。そのとき,問題を指摘した事業部技術部門の責任者が,私たちが作った資料を見て,あることに気づきました。その資料は,最初の加熱プロセスで最適な炊飯温度曲線が得られるヒーターの出力(ワット数)を,いくつかの炊飯量について測定したデータです。

 その責任者が気づいたのは,特に炊飯の最初の段階で炊飯量によって必要なヒーターの出力が大きく異なっている点です。従来の炊飯器のようにヒーターに一定の電力を加えていたのでは,最初の加熱プロセスにおける炊飯温度曲線が炊飯量によって変化することになります。これによって炊きあがったお米の味がバラつく恐れがありました。指摘されたプロセスは,昔からの言い伝えにある「はじめチョロチョロ」にあたる,お米に適度な温度を加えて水分を吸収させるプロセスです。ここでお米の中心まで適度な水分を含ませることは,ご飯をおいしくする重要なポイントと言われています。つまり炊飯量に合わせておいしいご飯を炊くためには,このプロセスにおける温度曲線の傾きを炊飯量に応じて最適な状態に制御する必要があったわけです。

 検討会に参加したメンバーから,マイコンを利用しようという意見が出てきたのはこのときです。傾きを制御するということは微分制御を使わなければなりません。このためにはマイコンを使うしかないと考えたわけです。加熱したときの温度を監視することで炊飯量の検出もできます。炊飯量に応じて「はじめチョロチョロ」に当たる火加減を調整するのがマイコンを採用の大きな動機でしたが,マイコンを使えば従来は不可能だった制御が実現できることが分かっていました。

 そこで,「はじめチョロチョロ,中パッパ,ぶつぶつ言うころ火を引いて,赤子なくともふたとるな」と言われてきた一連の火加減を再現する機能も盛り込むことにしました。ただし,当時のヒーターでは,十分な加熱が難しかったので,言い伝え通りの理想的な加熱プロセスが再現できるようになったのは,電磁誘導加熱(IH)方式が登場してからではないでしょうか。

――それから約1年で製品化にこぎ着けたわけですね。

今村氏 マイコンを扱った経験のある技術者は,ほとんどいませんでした。しかし,マイコンを採用するという方針が決まると,新しいことに取り組むことが好きな技術者たちが一気にマイコン制御システムを開発しました(図3)。さらに,外装部品などの設計は,既存製品のものを流用するかたちで開発を進めることで,当時としては比較的短い期間でマイコン搭載電気自動炊飯器を製品化できました。

図3 回路図 図3 回路図(クリックしたら拡大します)

 炊飯器のように生活に密着した製品の場合,一つの技術トレンドを追求することによって進化するケースは少ないのではないでしょうか。まず消費者のニーズを的確に把握し,これを実現する技術を開発することによって進化するのだと思います。マイコンを搭載した炊飯器も,その一つです。

 いまではほとんどの炊飯器メーカーの主力製品は,マイコン搭載機です。ただし,ご飯のおいしさを追求するために炊飯器の制御が複雑化していることや,例えば音声でガイドするなど,さまざまな付加機能が加わったことなどから,最新のマイコン自動炊飯器に搭載されているマイコンが担う役割は当初に比べて格段に増えています。

【訂正】記事掲載当初,炊飯量の自動判定の仕組みを検討している際に,「炊飯の最初の加熱プロセスにおける炊飯温度曲線の傾きが炊飯量によって違う」ことに気づいて解決にたどり着いたと記述しましたが,正しくは「炊飯の最初の段階で炊飯量によって必要なヒーターの出力が大きく違う」ことの誤りでした。お詫びして訂正いたします。記事は修正済みです。