私たちの工場では,製造部門が工場巡視を実施していました。これは,製造部門が月に2回くらいのペースで行う,生産ラインの自主検査です。ISO9000シリーズやさまざまな管理方法を勉強した管理者でも,自分の職場の気付かない場所で何らかの問題が発生していることがあります。そうした問題点を,他の部門の管理者に見てもらうことで発見しやすくするのです。見てもらう方だけでなく,他部門の現場を見る管理者自身も勉強になります。そうした双方のメリットを考えて工場巡視を行っていたのです。

 工場巡視が行われる当日,巡査員を務める管理者たちは黄色い腕章を身に付け,まずは打ち合わせを開始します。

「それでは,これから工場巡視に出発します。その前に,今回の重点管理項目を説明します。今回はまず,作業指導書と作業内容が一致しているかどうかを確認してください。それから,作業員が作業認定証を付けているか否かも確認をお願いします。最近,新しい作業員が入社してきた一方で,これまで働いてきた作業員が辞めたことで,無許可作業が目立っています。これは,製造部門の規定に違反するばかりではなく,不良にも直接つながる恐れがありますから,しっかりと確認してください」
「はい」
「ええっと,今回の重点検査部門はどこでしたっけ?」
「第一製造課です」
「そうでしたね。では早速,第一製造課に行きましょう」

 事務員同士の暗黙の了解で,工場巡視の対象になる部署には事前に連絡がいきます。抜き打ちで誰かを取り締まることが目的なのではなく,現場に正しい作業を根付かせることが狙いだからです。巡視員が来るという連絡を受けた各現場では,作業員たちが緊張の面持ちで入念に準備をします。「作業台上の清掃はOK,作業指導書の確認はOK…」といった具合に。

 第一製造課に着くと,巡査員たちはすぐに検査を開始しました。各生産ラインに散らばったそれぞれの巡視員は,一つひとつの工程について作業指導書と作業内容が一致しているかどうかを確認していきます。加えて,その作業に必要な認定証を作業員が備えているかどうかを1人ひとり見ていくのです。このうち,作業認定証には証明書とシールがあり,作業員の名札には取得した認定シールを付けなければいけません。

 こうした工場巡視の様子を遠巻きに見ていた作業員たちが,ひそひそ話をしています。

「あっ,来た来た!」
「ねえ,あの人たち何をしているの? あれ,あの“白豚部長”もいるみたいだけど」
「あなた,知らないの? 工場巡視をしているんですよ」
「コウジョウジュンシ?」
「そう。私たちのことをアラ探しして,始末書か何かを書かせようとする,あの白豚の企みだって」
「へえ,白豚ってそんなに偉いの?」
「偉いもんだよね。私たちをこき使って儲けたお金で,毎日お酒を飲んでぶくぶく太って。あー,うらやましい」
「そうそう,私のおばさんの友人がやっている店に来ているって。でも,おばさんは『あの客は吹っ掛けられるから,来てもらったら儲かる』って言ってた」

上司の心,部下知らず

 作業員たちは言いたい放題です。その部長は体重が100kgで身長が180cmを超える大柄な人でした。その部長が,作業員の1人に近づいて声を掛けました。

「ちょっと名札を見せてください」
「あ,はい」

 その作業員は笑顔で名札を外し,それを部長に渡しました。すると,その様子を見ていた班長が動揺し始めました。班長の動揺の理由など知らない作業員は,無邪気に部長に対応しています。

「ああ,あなたは白さん(仮名)ですね。あなたの担当する作業はねじ締めですから,ねじ作業認定証をもらっていると思います。でも,シールはどうしたのですか?」
「ねじ作業認定って,何ですか?」
「えっ,知らないんですか?」
「ええ。私はまだ入社したばかりですから」
「確かに,あなたの社員番号は本当に新しいですね」

 この作業員への確認が終わるや否や,部長は班長を呼び付けて注意し始めました。なぜ班長が怒られているのかつゆも知らない作業員たちは,そのまま作業を再開しました。

 翌日,ブツブツ言いながら始末書ならぬ,改善のための検討書を書いている班長の姿がそこにありました。

「何だよ,元はといえば白豚が悪いんじゃないか。あの優秀な範さん(仮名)を突然異動なんかさせなければ,こんなことにはならなかったのに…」

 作業員たちのほとんどが,自分の身の回りのこと以外にはほとんど関心がありません。そのため,自分の作業以外の会社が決めたルールや,上司がどのような仕事をしているかについては,全くといってよいほど無知な状態です。従って,噂や断片的に入ってくる話など,極めていいかげんな情報で会社や上司を判断していることが多いのです。

 こうした背景から,工場巡視をすれば「作業員や班長をいじめている陰湿な企み」と言い出しますし,取引先や部下との親睦を深めるために工場の近くの店に入っても「お酒を飲んでばかりいる気楽な身分」などという陰口を叩かれるのです。このように,中国人の作業員が日本人の管理職に対して誤解に基づく良くないイメージを持っていることは少なくありません。

 こうした作業員たちに,日本人の管理職が何かのトリガーを引かせてしまうと,誤解が誤解を呼んで,とんでもない事態に発展するリスクがあります。従って,中国人の作業員に接するときには,日本人の管理者はできる限り誤解を与えない言動を心掛けなければなりません。もしも,誤解を与えているように感じたら,すぐに誤解を解くように行動する努力が必要です。次回へ続く

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