連載の目次ページはこちら

 私が働いていたある日系メーカーの中国現地工場では,新たに入社した中国人の作業員に対する教育を終えると,彼らに修了試験を課すことになっていました。教育を受けた内容を,彼らがしっかりと身に付けているかどうかを確かめるため──というのは,表向きの理由。実は,こうした試験を実施する本当の理由は違うところにありました。

 非常に残念なことですが,今なお経済的な理由などにより,中国人の作業員たちの間には大きな学力の差があります。それを把握することが修了試験の真の目的だったのです。

 そうした学力の差は,文字(漢字)の読み書きができないとか,計算ができないといったことに典型的に現れます。中国の家庭の経済状況には日本と比較にならないほどの「格差」があり,多くの作業員たちの故郷である地方の農村部には,子供を小学校へ行かせる費用を捻出することもままならない家庭がたくさんあるのです。そうした家庭では,子供たちは小さいころから農業などに従事し,結果として学校教育を受けられないまま大きくなっていきます。そうした人たちが大勢,沿岸部の工場に出稼ぎにやってくるのです。

 私たちの工場では,会社の応募条件として中学卒業以上の学歴を要求していました。文字を読めない人を工場で働かせると,作業指導書の文書が読めずに不良を出したり,危険な設備の表示が読めずにケガをしてしまったりして,後で取り返しの付かないことになる恐れがあるからです。

 しかし,中国人の作業員たちの方が上手(うわて)です。実際には中学校を卒業していなくても,偽の卒業証書を用意したり,既に社内にいる人間のコネを利用したりして,不正入社する例がたびたび起きていました。もちろん,当初はそうした不正入社を排除しようと考えたのですが,なかなか良い方法が見つかりません。そこで,苦肉の策として文字が読めないような作業員でも,仕事に差し支えないような場所に配置することにしました。修了試験はその識別のためだったのです。

「試験なんて無意味ですよ」

 恒例の修了試験を実施しようとしていたある日,女性の班長が私にこう言いました。

「え,どうしてですか? 試験があると,みんな一生懸命勉強するんじゃないですか」
「そういう人もいますが,ほとんどの人が不正をしていますから」
「へえ,それじゃあ,学校の入試なんかもいい加減なんですか?」
「いいえ。学校の試験はとても厳しいので,カンニングなんてできません。でも会社でやる試験はそうはいきません。その証拠に,昨日もみんなでカンニングペーパーを作っていましたよ」

 まるで告発するかのようなこの話。確かに,過去に班長試験や作業認定試験の際に,不正がよく見つかっていました。不正の中で最も多いのがカンニングペーパーの作成で,次いで,答案用紙の交換でした。

 採点時にすぐに不正が分かってしまうのに,隣同士の席に座っていた人が同じ設問で同じ間違いをしていたり,全く同じ筆跡の答案が二つ提出されていたりするのです。採点者として不正試験を目の当たりにしている班長の口から,そんな言葉が出てくるのも無理のないことです。

社長の苦渋の決断