実は,日系メーカーの中国工場でも,床にゴミが散らばっているところは珍しくないのです。部品のパッケージや包装の紙くず程度なら,まだ分からなくはありません。ところが,生産ラインとは全く関係のない「瓜子」(グァズ)と呼ばれるひまわりの種の皮が床に散乱していた工場すらあるのです。作業員が仕事中か休憩中に食べ,そのまま床に捨てたのだと想像できます。こんなものが製品の中に混入したら大変なことになりますが,さすがに会社側もここまで基本的なところから教育する必要はないと甘く見ていたのでしょう。

 一応は,ひと通りの教育は行ったのでしょう。工場の壁に「5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」や「Q(品質)C(コスト)D(納期)」といった製造用語や,「ポイ捨て厳禁,違反者罰金100元」といったポスターが貼ってあったところをみると。しかし,作業員たちがそうした教育を身につけていないことは,これらのポスターの前にもゴミが落ちていることが,明白に証明しています。

 こうした背景から,実力のある中国現地企業ほど非常に基本的なところから中国人の作業員を教え始めます。先の社歌を合唱するというのは置いておくとしても,社員全員での整列や行進から始まり,挨拶の仕方,相手からの話の聞き方など,日本の企業では考えられないほど丁寧な教育を施すのです。

 当時,私が所属していた日系メーカーの中国工場でも社員教育には力を入れていました。中でも特に重視していたのが,「平等」という概念です。

 中国では,声や身体が大きい人が強いという現実があり,このことは工場で働く作業員たちの人間関係にも色濃く反映されています。例えば,大きな工場では昼休みになると作業員たちが食堂をめがけて一斉に走り出し,声の大きな人や力の強い人が,ほかの人を押しのけてまで並ぼうとします。昼食だけのことなら,これは中国の習慣と割り切ることもできるかもしれません。

 しかし,こうした行動を許していると仕事にも影響してしまうのです。その影響が最も現れるのが帰宅時。混雑する工場の門を少しでもスムーズに通り抜けようと,就業時間の間際になると作業を放り出し,我先にと帰る準備を始める作業員が出てきます。すると,中途半端に作業を投げ出すため,製品に不良が発生する恐れが出てくるのです。もちろん,階段で作業員同士がぶつかってケガをしてしまうという安全面の問題の発生も避けられません。

 こうした事態を防ぐために,整列退勤を実施し,帰宅する順番を日替わりで変えていくなど工夫して,すべての作業員たちが平等になるように配慮するのです。

 ただし,中国人の作業員たちを前に,単に整列退勤だけを押しつけても不満をためるだけ。「なぜ,それを実施するのか」という理由を彼らにしっかりと教育する必要があります。そうした理由まで聞かせれば,彼ら自身が納得し,きちんと教えた通りに従うようになるのです。

 興味深いのは,中国人の作業員の多くがこうした厳しい社員教育を嫌がるのではなく,むしろ望んでいることです。厳しくしないと,逆に作業員たちから不満が湧いてくるほど。なぜなら,彼らの多くにとって社員教育の一つひとつが新鮮であり,何より厳しい教育を受けることで自分が成長し,スキルが高まると認識しているからです。その会社で一人前に仕事ができるようになることはもちろん,たとえ別の会社に移ったとしても評価されることを先輩や知人,友人などから聞き知っているのでしょう。

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