東京大学と科学技術振興機構(以下,JST),産業技術総合研究所(以下,産総研)の研究グループは,有機分子の構造が時間変化する様子の動画撮影に成功した。細胞膜の主要成分である脂質分子に似せた化合物を合成。真空中で揮発させ,カーボンナノチューブ(CNT)の中に入れ,高分解能の電子顕微鏡で観察したもの。飽和炭化水素の鎖の動きや,CNT内を往復する様子を秒単位で確認したという。

 この実験とは別に,直径1.2nmのCNT内に同じ分子を閉じ込めると,分子が動く様子を秒単位で直接画像化できることが明らかになった。具体的には,二つの炭化水素鎖を持つ分子に関して,その二つの鎖がCNT内で回転する様子である。この映像では,炭化水素の鎖が連続的ではなく,ある形からある形へと飛び跳ねるように変化することを確認した。このような現象が実験的に分子レベルで観察されたのは「初めて」だという。

 同研究の目標は「あたかも分子模型を見るがごとく,有機分子の形の変化を観察する」こと。ただし,観察対象の分子は真空中で素早く飛び回る上,電子線を照射すると壊れやすいという問題があった。そこで研究チームは,CNT内に有機分子を閉じこめて分子の動きを遅くし,電子線による熱の発生を抑え,分子同士の化学反応の可能性をなくすことで,単一分子の直接観察に成功した。観察実験には,解像度が2.1Å(0.21nm),加速電圧が120kVの透過型電子顕微鏡(TEM)を使った。

CNT内に閉じ込められた,炭素鎖長が12の一重鎖を有する有機分子の電子顕微鏡観察像(上)と,そのモデル図(下)。図中のバーの長さは1nm。モデル図の桃色はホウ素原子,灰色は炭素原子,白色は水素原子を意味する。

 この研究では,観察対象の分子構造が判別しやすいことが重要。そこで,目印となるホウ素クラスターと柔軟な鎖状分子(炭化水素)を結合し,脂質分子に似た特徴的な構造を持つ分子を設計・合成し,観察対象とした。これを,直径0.9nmのCNT内に閉じ込める。顕微鏡観察下において電子線エネルギ損失スペクトルを取ることで,ホウ素原子の存在を確認。さらに,前出の「特徴的な」分子構造を確認することで,単一分子を電子顕微鏡で観察することが可能であると実証した。顕微鏡の解像度が,炭素-炭素結合の長さである1.5Å(0.15nm)に満たないため,炭素原子一つひとつを確認することはできないが,炭素鎖やホウ素からなる球状部分をはっきりと確認することができたという。

 直径1.2nmのCNTに閉じ込めた実験では,分子が1秒当たり10nm程度の速度で前後に運動する様子も観察できた。分子の速度が頻繁に変化することや,ときおり分子がCNTに引っかかり,動きが止まることも判明している。

「A」は,炭素鎖長が22の二重鎖を有する分子の連続観察像。分子がCNT内で前後に動いたり,回転する様子が確認できる。図中の数字は,観察開始からの経過時間(単位は秒)。図中のバーの長さは1nm。「B」は観察開始から4.2秒後,「C」は観察開始から6.3秒後の分子のモデル図。WMV形式の動画(2倍速)のストリーミング再生はこちら。(画像をクリックすると別画面で拡大表示します)

炭素鎖長が22の二重鎖を有する分子の連続観察像。やはり,分子がCNT内で前後に動いたり,回転する様子が確認できる。図中の数字は,観察開始からの経過時間(単位は秒)。図中のバーの長さは1nm。WMV形式の動画(2倍速)のストリーミング再生はこちら。(画像をクリックすると別画面で拡大表示します)

炭素鎖長が12の二重鎖を有する分子の電子顕微鏡観察像とモデル図。分子がCNT内を前後に移動する様子が確認できる。図中の数字は,観察開始からの経過時間(単位は秒)。図中のバーの長さは1nm。WMV形式の動画(2倍速)のストリーミング再生はこちら。

 今回の観察実験から予想できるのは,観察対象のモデルとなった脂質分子が細胞膜内で動く場合も同じく段階的に構造変化していること。炭化水素分子は潤滑油として広く使われているが,潤滑現象が無数の分子による相互作用の総和だとしても,それぞれの分子が同時に滑らかに動くわけではないことが予想されるという。

中村活性炭素クラスタープロジェクトで使っているTEM(日本電子製)。観察精度を高めるため,観察対象を-269度(液体ヘリウム温度)まで冷却できる。