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守谷刃物研究所を2度目に訪れた山田日登志(66歳)は,指導中にある男が見せた「浮かない顔」が気になっていた。工場長の難波晋(47歳)である。「指導に不満がありそうだ」。そう山田は思ったが,真相は少し違っていた。 (この記事中の写真:伊達悦二)


浮かない表情の工場長,難波晋

 朝から吹雪いていた大粒の雪が粉雪に変わっていた。2005年,暮れも押し迫ったある日の午後1時。島根県・安来市にある守谷刃物研究所の玄関前には,約20人の社員が作業着姿で整列していた。

「さっみー」

 若手の社員が悲鳴を上げる。

「おらおら,気合い入れんとー」

 檄(げき)を飛ばす年配の社員。その列の真ん中に,工場長の難波晋はいた。山田日登志が前回の指導に訪れたとき,「納得行かない」という顔をしていた男である。しかし,この日は一転,穏やかな表情を浮かべていた。

 門から黒塗りの車が入ってきた。全員がいっせいに姿勢を正す。

「キョーツケーッ,レイ!」

「いらっしゃいませー」

 社員たちの絶叫にも似た挨拶につられるように,山田が車から降りてきた。チラッと難波の方を見て,通り過ぎる。

「おっ,今日はいい顔しとるな」

 山田は瞬時に思った。どんな心境の変化があったかは分からなかったが,良い兆候であるのは間違いない。今日は良い指導会になりそうだ。

 身支度を整えて,すぐさま工場へ。間もなく,前回の指導会でカイゼンリーダーの自覚を芽生えさせた金森達夫(43歳)が,指導会後に自分たちで進めてきた活動について説明した。

「前回ご指導いただきましたストア,レイゾウコにつきましては,今も徹底させております」

 ストアとレイゾウコの設置は,前回,山田が最も力を入れて指導した部分だった(連載の前回を参照)。作業者が作り終えた製品を置く場所が,ストア。後工程の作業者が,その日に必要な分だけストアから「買って」きて置いておく場所がレイゾウコである。必要な分だけ前工程に取りに行く「引き取り方式」を実現しやすくするためのツールだ。

 説明は3分間ほど続いただろうか。山田はそれを黙って聞き終えると,まるで何もなかったかのように言った。

「じゃ,検査・梱包んとこ行くぞ」

「1箱生産」でタイム短縮

 部屋に入るや否や,山田はおもむろに梱包工程のレイゾウコに置かれた製品を手に取り,作業中の女性に聞いた。

「これ,どこに買いに行きますか」

「あっちです」

 女性の後ろを歩きながら,山田はわざとらしく大きな声で言った。

「いっぽ,にーほ,さんぽ。はい,この動作のどこが一番ムダですか?」

「歩行です」

 難波がよく通る声で答える。山田は一瞬,口元を緩めたが,すぐに何食わぬ顔に戻って続ける。

「そう,歩行のムダやな。これ,作業台と作業台の距離を近づけるだけで省けるんよ。それからもう一つ,大切なことがある」

 山田の顔に皆の注目が集まる。

「梱包も検査も,必ず一箱分ずつやるゆうことやな。箱っつーのは梱包する箱のこと。どうしてか分かるか?」

 沈黙する社員たち。

「その方がタイムが短くなるからだよ。1箱検査して,終わったら隣の梱包の人に『はいっ』と手で渡す。そうすりゃ,こんなもん30~40分で終わってまうだろ? それをあんたらは,ごそっと作って溜めておくから仕掛品が増えるんよ」

「なるほど,そうだよな」

金森達夫は,前回の指導会で大きく成長,今回は同社カイゼン活動の現状を大声で報告した

 難波は頷いた。工程ごとに1日分をまとめて作るのではなく,1箱分ずつ作って次の工程に渡していけば,モノの停滞時間が格段に減る。タイミングさえ合えば,ストアやレイゾウコだって必要なくなる可能性もある。

 山田は,難波の様子を横目でチェックしながら続けた。

「これをどこの工程でもやると,完成品が出来るまでのリードタイムがどんどん短くなるんよ。そうすっと,誰が喜ぶ? お客さんだよ」

 今度は大きく頷く難波。その横顔を,山田は満足げに見詰めた。

浮かない顔の真相