守谷刃物研究所の運命が、一人の男によって変えられようとしていた。山田日登志(66歳)。同社を会場とした「工場診断ツアー」(山陰合同銀行主催)で,講師を務めた男だ。講師と会場を提供した会社。それで終わるはずだった。少なくとも,5カ月前までは……。 (この記事中の写真:伊達悦二)
2005年11月某日,快晴。山田日登志は,鳥取県米子市に向かう列車に揺られながら,5カ月前に見た強烈な光景を思い出していた。
米子駅から車で30分ほど西に走ると島根県・安来市に着く。とある会社の事務所。そこで,山田はある男の涙を目の当たりにしていた。
「20年間……ずっと悩んでいたことが……ようやく今日……」
あとは言葉にならない。
男の名前は守谷光広,46歳。当地の特殊鋼精密機械部品加工メーカー,守谷刃物研究所の社長である。
山田が同社を訪れたのは,まったくの偶然だった。山陰合同銀行主催のカイゼン・セミナーの一環として,地元の経営者たちに「山田流カイゼン」を体験してもらうために開かれた「工場診断ツアー」の会場が,たまたまこの会社だったのである。診断時間は30分程度。たったそれだけの時間が,守谷に「涙の感動」をもたらしたのだ。
このとき,山田は決めた。パンパンのスケジュールをなんとかやりくりして,この会社を本格的に指導してやろう。そうすれば,1年後には2億6000万円の経常利益を倍にはできるはずだ。そのための筋書きは,既に頭の中にある。車窓を流れる田園風景さながらに,山田の口元は和らいでいた。
立ちはだかる常識の壁
守谷刃物研究所に到着し,真っ先に向かったのは出荷工程だった。前回,診断ツアーで訪れた際は,そこら中に段ボール箱が置かれていた。それがすっかり片付けられている。
「はい,えぇですよ」
山田がうなずく。
「ほんなら,明日,出荷するもんはどれですか」
「は,はい,これです」
製造部製造2グループでリーダーを務める金森達夫(43歳)が,こわばった表情で作業者脇にある台の上を指差した。金森は4カ月前から,山田が主宰するカイゼン・リーダー育成講座に参加していた。診断ツアーで衝撃を受けた守谷が急遽,山田の下に7人の社員を送り込んでいたのである。金森はその一人だった。
「金森くん,これは明日の分なのに,どうしてここにあるんですか?」
「……」
言葉を失う金森。
「これ全部,前工程に戻さなあかんだろ? 誰か運んでくれ」
「はいっ」
数人の男性社員がガタガタと,製品の載った台を隣の検査室に運ぶ。
山田がここで徹底させようとしていたのは「引き取り方式」という生産手法だった。
これは,日本のほとんどのメーカーが実践している「押し込み方式」とは全く逆の発想に基づく方式である。一般的な押し込み方式では,製造ラインの上流から下流へと,ところてんのようにモノを押し込む。ところがこの引き取り方式では,その日に必要な分だけ前の工程に取りに行く。必要な分だけしか持ってこなければ,原理的に過剰な仕掛品がたまることはなくなるというわけだ。
山田の門下生となった金森にも,引き取り方式の知識はあった。だが,頭で分かっていることと,自社工場で実践することは別。今までの習慣や常識が邪魔をして,なかなか徹底できない。
うつむく金森に,山田は新たな質問を投げ掛けた。
「これはどこで検査したやつや?」
たった今,検査室に運び込んだばかりの製品を指差す。首をひねる金森。山田が眉を吊り上げたその瞬間,金森は思わず検査工程の責任者の名を呼んでいた。
「枝木ーっ」
見学者の中から,枝木稔(35歳)が飛び出してきた。彼も山田の講座を受ける生徒の一人である。