カメラ・メーカーとして知られるマミヤ・オーピーは2006年4月21日,カメラ事業から全面撤退することを明らかにした。コスモ・サイエンティフィック・システムの子会社であるコスモ・デジタル・イメージングに,マミヤ・オーピー本体の光学機器事業部門と,子会社のマミヤを1億円(税抜き)で譲渡する。営業譲渡期日は2006年9月1日を予定している。

 マミヤでは,1992年に釣具メーカーだったオリムピックに吸収合併される以前の「マミヤ光機」時代から,銀塩カメラの中判機種を開発・製造してきたが,デジタル・カメラ市場が拡大した2001年ころから売り上げは大きく落ち込んだ。2005年12月にはデジタル一眼レフ機の中判機種「Mamiya ZD」(Tech-On!関連記事)を発売したが,これも「思うようには売れなかった」(同社広報)。直近の4年間は毎年10億円程度の赤字を計上し,電子機器事業で生んだ利益を相殺している状況だった。

 マミヤの従業員130人前後とマミヤ・オーピーの光学機器事業部門の従業員70人程度については,全員が退職した後,譲渡先のコスモ・デジタル・イメージングに相当数が再雇用される予定という。これまでに販売してきたカメラのアフター・サービスも譲渡先に引き継がれる。

 マミヤ・オーピーは今後,パチンコの台間玉貸機などを中心とする電子機器事業と,ゴルフ・クラブのシャフトなどを中心とするスポーツ事業に特化して,収益の改善を図るとする。

 今回の営業譲渡の中で「『マミヤ』というブランドもコスモ・デジタル・イメージングに売却する見込み」(マミヤ・オーピー)である。コスモ・デジタル・イメージングの親会社である,コスモ・サイエンティフィック・システムの広報担当者は「どういう製品展開をするかは,『マミヤ』ブランドを使うのかどうかを含めて,まだ言えない。ただ,受け継ぐ以上はカメラ事業を発展させるつもり」とする。

 マミヤ・オーピーの前身であるマミヤ光機は,1940年からカメラ事業を手掛けてきた老舗メーカー。中判カメラではペンタックスと双璧をなす大手である。写真家の山田久美夫氏は「写真スタジオを中心に高い世界シェアを誇ってきたし,デジタル・カメラ化にも黎明期から取り組んできた。新会社に事業が引き継がれるとはいえ残念な結果」という。

■後ろから2段落分を追記しました(4/21 18:50)