IBMが実験を行った薄膜表面のSTM像。28nm2の範囲を示す。テラス状の平坦な領域がCu,低くくぼんだ領域がCuN。コブ状に隆起している領域が,1〜10個のMn原子が連なった分子。
IBMが実験を行った薄膜表面のSTM像。28nm2の範囲を示す。テラス状の平坦な領域がCu,低くくぼんだ領域がCuN。コブ状に隆起している領域が,1〜10個のMn原子が連なった分子。
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 わずか1~数個の原子に1ビットのデータを蓄積する−−。HDD(ハード・ディスク装置)の究極的な大容量化につながるそうした手法の基礎となる技術を,米IBM Corp.が開発した。成果は科学誌「Science」のオンライン速報版「Science Express」の2006年3月30日分に掲載された。

 1~10個の磁性原子で直鎖状分子を作り,つなげる原子数を変えて分子の磁性を制御する。「量子コンピュータ素子や超微細ロジック回路へも適用できる」(米IBM Corp.,IBM Research Division)とする。

HDDの面記録密度を現行の1000倍以上に

 HDDをはじめとする磁気記録デバイスの面記録密度の上限は,究極的にはデータ記録の単位である“磁区”を構成する原子数で決まる。その原子数を数個程度に減らすことができれば,現状よりケタ違いに高い記録密度を実現できる。例えば,1ビットのデータを記録できる磁区の大きさを原子数個分に相当する1nm2に縮小できれば,単純計算では面記録密度は100Tビット/cm2と,現行のHDDに比べて1000倍以上高くなる。

 こうした究極の大容量ストレージの実現に欠かせないのが,(1)原子1個の磁性を検出する技術や,(2)数個の原子を任意の位置に集めて分子を形成し,その磁性を検出したり制御したりする技術である。このうち,(1)は2004年にIBMが走査型トンネル顕微鏡(scanning tunneling microscope:STM)を使う「スピン反転分光法(spin-flip spectroscopy)」と呼ぶ方法で実証済みである。

 今回の成果は(2)を実現したことである。このうち,STMのプローブを使って原子を1個ずつ操作し任意の位置に分子を形成する技術は,1990年にすでに同社が実証している。ただし従来は,形成した分子の磁性を高い精度で検出することが難しかった。理由は二つある。第1に,表面の凹凸が数原子層以下といった平坦な金属薄膜上でしか原子を自由に動かせなかったこと。金属薄膜上では,せっかく分子を形成してもその磁性を正確に検出できない。金属中に存在する自由電子のスピンの影響を受けるからである。第2に,2004年に開発した手法では,分子を構成する原子数を変えたときの磁性の変化を検出できなかった。

直鎖状につながる原子数の偶/奇で磁性が決まる

 第1の課題を解決するために,同社は金属薄膜(Cu)の表面を原子1層分の絶縁膜(CuN)で覆った。凹凸がない絶縁膜で金属表面を覆うことで,金属中の電子スピンの影響を受けずに形成した分子の磁性を高精度で検出できるようになった。次に,第2の課題を解決するために「スピン励起分光法(spin-excitation spectroscopy)」と呼ぶ手法を新たに開発した。これによって,分子を構成する原子数を1個ずつ変えたときの磁性の変化を検出できるようになった。

 1~10個のMn原子を使ったIBMの実験では,直鎖状の分子を構成する原子数が偶数(2,4,6,8,10)の場合には磁性を示さず,奇数(1,3,5,7,9)の場合には磁性を示したという。原子スピン同士の相互作用によって磁性が相殺されるか否かが,両者の違いを生んでいるとする。