違和感を覚えた私は,社長に対し,さらに詳細な説明を求めました。その内容は,私の想像から懸け離れていました。実は,中国で言う不法就労者とは,日本とは異なり,中国が独自に定めた居住地の制度に違反した労働者のことだったのです。

 中国の法律では,農村戸籍を持つ人が都市に臨時に住む(暫住する)場合,特別な戸籍である「暫住戸籍」を取得する必要があります。私たちの会社は中国企業との合弁会社だったため,作業員の暫住戸籍の証明書である「暫住証」を,中国側の企業がまとめて当局に申請してくれていました。作業員たちは自分の身分証明書があれば,簡単に暫住戸籍を取得することができました。

 ところが,現実には先の基準に対する不適格者が無理矢理に入社していたのです。読み書きが満足にできない人や,中学校の卒業証書を持っていない人,さらには年齢が18歳に達していない未成年労働者もいました。

 なぜ,こうした事態になったのでしょうか。実は,こうした不適格者は偽の身分証明書を使って私たちの工場の作業員に応募していたのです。偽の身分証明書には2通りありました。一つは偽造した身分証明書,もう一つは友人から借りた身分証明書です。前者は採用基準にうまく合致するように各項目を書き込んだ身分証明書を偽造し,後者はそれに合致する項目を持つ友人にそのままなりすまします。年齢に関しては18歳未満とは逆に,超過している場合もこうした偽の身分証明書を使ってごまかすのです。

一体全体,あなたは誰?


 彼らが偽の身分証明書に手を染めた背景には貧困があります。急速な経済発展が進む中国ですが,その発展に取り残された農村地帯は依然貧しく,そこでは十分に生活できない人たちが,都会にある工場の作業員を目指します。しかし,そうした人の多くは読み書きが満足にできません。中学校もきちんと卒業していないため,卒業証書もありません。18歳になるまで働かずにいられるほど,生活に余裕はない場合が多いのです。

 先の社長の指示に従い,私たち製造部門の幹部は作業員の身分証明書を調査しました。すると,実に全体の7%の作業員が不適格者であることが分かりました。そのうちの多くは,他人の身分証明書を利用していました。

 彼らに対して,私は非常に複雑な思いを抱きました。顔なじみでいつも一緒に仕事をしていた作業員を処罰するのはとても辛い。しかも,それまで呼んでいた名前は本人とは異なる他人の名前だったのです。18歳以下であることを告白してきた作業員に対しては,その若さで働かなければならない境遇を知ってしまったために,私はさらに複雑な気持ちになりました。

 しかし,偽の身分証明書を使うことは非常に重い罪。会社として見逃すわけにはいきません。彼らは全員,解雇されることになりました。その決定が下った日からしばらく,私は落ち込んでしまいました。彼らの行為は犯罪には違いありません。しかし,生活のために,工場の現場で必死になって働いていた姿を知っていたからです。

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