実は,彼らはテレビ番組を視聴するためだけに集まるのではありません。テレビ受像機はいわば集合場所の目印。その場所にみんなで集まって,お互いに情報交換をすることが本当の目的なのです。厳さんによれば,夕食後に隣近所の人たちや親戚と話をすることは,半ば習慣になっているとのこと。この習慣が中国人の情報伝達手段の一つとなっているのです。

 集合場所となる家の人も,みんなが集まってくるからといって「迷惑」などと考える人はいません。中国人が隣近所と結ぶこうした人間関係の厚さは,日本人の目にはとても奇妙に映ります。日本では,例えば,隣の家に回覧板を持って行く際に,玄関で回覧板を手渡したらあいさつ程度で切り上げることが普通です。よほど仲が良いか,事情があるか,または話好きではない限り,長居をすることはありません。

 ところが,仮に中国でそんなことをすれば,「なぜ客を追い返すのか。無礼な人だ」と思われてしまいます。こうした場合に,中国人は「お茶でもどうぞ」と言いながら居間に通し,腰掛けて軽く会話をすることが一般の礼儀作法として通っているのです。そのため,中国では家の造りとして,居間を入り口のすぐそばに設けることが普通です。

 こうした中国人の人間関係や礼儀作法の影響を受けているのが,固定電話です。実は,テレビ受像機と異なり,固定電話機は普及率が低いままとなっています。ここに,中国人の社会の面白さが表れているのです。

 2005年2月現在,中国の100人当たりの固定電話の保有台数は24.9台で,携帯電話は25.9台となっています。しかし,地域によって保有台数に濃淡があり,農村部ではそれが14.6と全国平均の6割以下にとどまっています。

 固定電話の価格は数十元(500円以下)。実は,中国では基本料金も通話料金もとても安い上,基本料金の必要ない固定電話サービスまであります。にもかかわらず,意外に普及していないのは,なぜでしょうか。先の厳さんの実家も固定電話を所有していませんでした。それこそ,豚1頭を売ったら何台買えるか分からないほどの安さなのです。不思議に思って私が理由を尋ねると,彼女は次のような話を披露してくれました。

固定電話に鍵をかけるワケ


 実は以前,厳さんの実家は固定電話を契約していました。すると,それを聞きつけた隣近所の人たちが,固定電話を使わせてもらおうと,頻繁に厳さんの実家にやって来るようになりました。中には,遠い都会に出稼ぎに出ている子供たちと,長距離電話で延々と話す人もいたそうです。そのため,あっという間に通信費は膨らみ,数百元(5000円近く)もの請求書が,厳さんの実家に届くようになりました。そんなことにはお構いなく,隣近所の人たちは,厳さんの家族が留守の時でも勝手に家に上がり込んで電話を使う始末です。

 さすがに,これでは堪らないと感じた厳さんのお父さんは,ボタンを押せないように固定電話を箱で覆って鍵をかけました。しかし,隣近所の人たちは,受話器を取り出すために設けた穴から,細い棒を器用に差し込んでボタンを押して電話をかけたということです。

 こうして,膨れ上がる通信費の負担に堪え切れなくなった厳さんの実家は,電話を解約してしまいました。中国の固定電話に鍵がついた機種が多いのは,こうした中国の現実があるからなのでしょう。

 隣近所の人たちが,物理的にも精神的にも,あまりにも近くにいるために,こうした問題が起きるのです。固定電話を使用している間は,費用は目に見えません。そのため,借りる方は大した費用ではないと思って簡単に借ります。一方,貸す方は,実際にはそうではなくても,細かいと思われることを言えば,隣近所の人たちから「ケチだ」と言われることを恐れて,なかなか言い出せないのです。

 多少,地域によって差があるそうですが,こうした農村社会で育ってきた中国人の作業員は,平気で「他人の領域」に進入する傾向が見られます。日本人には失礼だと思うこともありますが,部下となった中国人の作業員がこちらの領域に入ってくることに関しては,「隣人」として認められた証拠だととらえた方が良いかもしれません。(次回に続く

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