「ナノテクノロジー」という名称を誰が言い出したかは必ずしもはっきりしない。10億分の1という単位の「ナノ」に、技術を意味する「テクノロジー」を付けただけなので、誰が命名者ということは今さら特定できない。ただ、分子や原子の寸法であるナノスケールの重要性を説いたという意味では、米国の理論物理学者であるRichard Philips Feynman博士による1959年の講演がナノテクの口火を切ったというのが共通認識である(図)。しかし、1999年までナノテクノロジーという言葉は、専門家以外、一般にはほとんど知られていなかった。2000年に、突然、ナノテクノロジーに関する報道が増えたのは、米国の前大統領であるBill Crinton大統領(当時)が、同年2月に「National Nanotechnology Initiative (NNI) 」を策定して発表したからである。

 1986年以降、現在までに、国内の新聞や雑誌が書いたナノテク関連記事の本数をまとめたのが表である。このころから、ナノテクノロジーを半導体技術の延長線上としてとらえた記事が登場し始めた。この年、「ナノテクの伝道師」と呼ばれる米国のK. Eric Drexler博士が1986年に執筆した、『Engines of Creation』が出版された。ところが、日本語訳された『創造する機械』(相澤益男訳、パーソナルメディア発行)は1992年2月に日本で出版されたが、初版2刷が発行されたのは2001年3月だった。これも、NNIによってナノテク研究に追い風が吹き始めた影響と言える。

 『Engines of Creation』は、ナノテクノロジーの活用方法を具体的に予言した書籍だが、発行された当時、「空想の世界であり、実際には実現しえない」という厳しい意見を受けた。それが今、再び注目されてきた。理由として、NNIのほか、走査トンネル顕微鏡などを用いて実際に分子や原子を観察できるようになりDrexler博士の「予言」が現実味を帯びてきたこと、半導体の微細化がナノスケールの領域に達してきたことなどを挙げることができる。

 それでは、「ナノテクノロジー」はこれまでの数々の基礎研究と同様に、一過性のブームで終わるだろうか。例えば1986年から1992年まで「高温超電導ブーム」があったが、高温超電導体の応用分野として挙げられた提案は、従来の半導体でも実現できるものがあった。従って、次にブームといわれるのは、より室温で超電導現象を示す物質が見つかった時であろう。ナノテクも油断はできない。わざわざ原子や分子を操作してまで実現する必要があるナノテクの適用分野がすぐに現れない場合、ふたたびマスコミや産業界からの注目度は下がる可能性はある。(日経ナノテクノロジー 黒川 卓)

【図】ナノテクノロジーの歴史。総合科学技術会議資料より
【図】ナノテクノロジーの歴史。総合科学技術会議資料より
【表】日本の主な新聞、雑誌で報道されたナノテクノロジーの記事件数の推移
【表】日本の主な新聞、雑誌で報道されたナノテクノロジーの記事件数の推移