2015年6月5日、火山活動の活発化が懸念される神奈川県箱根町の「箱根ホテル小涌園」に、トヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎氏が姿を現した。日本科学技術連盟(日科技連)が主催する「第100回 品質管理シンポジウム」で講演するためだ。同年初めに足を悪くしたため、杖をつきながら来場した90歳の豊田氏は、熱のこもった口調で次のように語った(図1)。
「(多くの日本メーカーは)QC(品質管理)をすっかり忘れてしまった。品質を大事にするトヨタが大規模リコールを起こしたのには、私を含む歴代の経営陣に責任があった。品質管理に力を尽くしてきた世代の交代が進む中、日本メーカーはTQM(総合的品質管理)*1の原点に立ち返って、品質を第一にしたものづくりをもう一度進めなければならない」。
世界に広がるタカタのエアバッグ問題、ホンダの大規模リコール、免震ゴムの性能偽装…。日本メーカーの品質を揺るがす問題が最近頻発している(表1)。こうした日本メーカーの現状に対する豊田氏の強い危機感が言葉の端々に感じられた。
「燃料噴射に関する研究」で工学博士号を取得したエンジニアである豊田氏は、トヨタのみならず、日本メーカー全体の品質向上に深くかかわってきた*2。1961年からトヨタで品質を担当し、同社がデミング賞*3実施賞や日本品質管理賞を獲得する際に中心的な役割を担った。1982年に、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併により誕生したトヨタ自動車の初代社長に就任してからも、グループを挙げて品質重視の経営を推進してきた。
「安かろう悪かろう」から磨いた品質
同氏の歩みは、日本メーカーの品質が「安かろう悪かろう」から、世界最高レベルに駆け上がった歴史と重なる。戦後、日本は国を挙げて、米国の品質管理手法を熱心に学んだ。トヨタは1958年から米国に輸出し始めた「クラウン」で品質問題が多発し、いったん輸出を停止。その後、品質改善に必死に取り組み、米国に再上陸した。地道な努力を続けて、米ビッグスリーを凌駕する品質を実現したことが、世界的な躍進につながった。
トヨタに限らず、多くの日本メーカーは、同時期に、全社的な品質改善に取り組んでいった。この結果、品質は日本メーカーのお家芸として海外でも広く知られるようになった。
例えば、日本車は故障が少ないことが米国で高く評価され、中古車として流通する際も高い価値がつくことが市場シェアの拡大を牽引した。精密機械や電子機器でも壊れにくい日本製品が世界で存在感を高めていった。
だが、企業に品質管理がいったん浸透すると、それはいつしか当たり前になり、品質改善に小集団で取り組む「QCサークル活動*4」などは形骸化するケースが増えた。
経営者の関心も薄まり、日科技連の品質関連のセミナーやイベントにも「経営トップが参加するケースがめっきり減った印象がある」(日科技連会長でコマツ相談役の坂根正弘氏)。
「品質を最優先にする日本のものづくり文化が弱まっている」。2015年6月の品質管理シンポジウムではそのような懸念を口にするメーカー幹部や研究者の声が目立った。実際、日経ものづくりが2015年5~6月に実施したアンケート調査でも、「日本製品の品質が低下している」と答えた人の割合は5年前と比べて2割も増加し、7割近くに達した(「甦れ、日本の品質」参照)。