高速道路などの点検に使うメンテナンス用ロボットなどの開発で実績を上げているイクシスリサーチ。背景にあるのは、顧客の現場を徹底的に分析する開発スタイルだ。一貫して裏方としてロボットの開発を請け負い続けている山崎氏が、ロボット開発のベンチャーを立ち上げた経緯や、「現場で使われるロボット」を開発するための極意を語った。

(聞き手=中島 募)
やまさき ふみのり
1974年、山口県生まれ。早稲田大学大学院に在学していた1998年、趣味のロボット開発の資金を捻出するためにイクシスリサーチを設立。2000年に科学技術振興事業団(現科学技術振興機構)のプロジェクトで2足歩行ロボット「PINO(ピノ)」を開発した実績も持つ。
(写真:陶山 勉)

――どのような経緯でロボットに興味を持ったのですか。

 ロボット業界では、「鉄腕アトム」や「ガンダム」などのテレビアニメを見てこの業界を志した人が多いと思います。ですが自分は子供の頃、ロボットのアニメを全然見ていません。実家が山口県の田舎だったので、田んぼでサッカーをしたり山でカブトブシを採ったりして遊んでいました。あと実家の工具箱からノミやのこぎりを持ちだして、工作をしていましたね。木の切れ端を船の形に加工して、川に浮かべたりする遊びです。

 そんなふうにモノづくりに強い興味を持っていた小学5年生のとき、ラジコンがブームになりました。自分で組み立てるタイプのラジコンです。友達がみんな持っている状況だったので、親に小遣いやお年玉を前借りして購入しました。タミヤの「ホットショット」というバギー型ラジコンです。ブームは1年ぐらいで終わり、友達がほとんど遊ばなくなる中、私は1人でラジコンを改造して遊んでいました。モーターやサスペンションを交換したりして走らせるのが、とにかく楽しかったのです。

 そして中学生になったある日、テレビで目にしたのがNHKの「ロボットコンテスト(ロボコン)」です。学生がロボットを作って競争しているのを見て、衝撃を受けました。「自分もロボットを作りたい」と思ったのですが、残念ながら私の住んでいた町にはロボットを作るための部品が売られていませんでした。

 その後、「ロボコンに出たい」という思いもあって関東の大学(早稲田大学)を受験しました。そして大学1年生の夏、ロボコン出場のチャンスが訪れます。理工学部のある先生が、「ロボコンに出場するので、やりたい学生は手を上げろ」と参加を募ったのです。私は真っ先に手を挙げました。私は迷路探索ロボットを開発するサークル(早稲田大学マイクロマウスクラブ)に入っていたこともあり、チームのリーダーを務めました。

 その後は、ロボット三昧の日々です。片っ端からいろいろなロボット大会に参加しました。「大会で良い成績を出したい」という一心で、サークルの先輩から教えてもらったり、大会で知り合った人から情報を仕入れたりしましたね。大学1~2年生の頃は全然ダメでしたが、大学3年生になるとコンスタントに良い成績が出せるようになりました。