東日本大震災から4年が経った。1万人を超える死者や9兆円を超える被害額を出した未曾有の災害は、東北の自動車産業にも大きな影響を与えた。今回向かったのは、津波が襲った宮城県石巻市。被災した部品メーカーが受けた傷は完治していない。だが、ようやく攻めに転じる姿がそこにはあった。

 「自動車関連で新しい取引先との仕事も決まり、この3月中には大幅に増産する予定。忙しくなりそうだ」―。宮城県石巻市で、自動車部品を中心に、医療機器やカメラなどの各種組み立てや加工、検査を手掛ける雄勝無線。同社で取締役専務を務める山下健一氏は笑顔で状況を語ってくれた。

 同社はもともと石巻市の雄勝湾に面した地区にあったが、津波によって建物は鉄骨と階段を残して消えた。今回訪れたのは、そこからクルマで20分ほど内陸の三輪田地区。きれいな新工場が筆者を迎え入れてくれた(図1)。

図1 工場移転で復活
(a、b)津波で工場を失った雄勝無線は今、新工場で操業を続けている。(c)卓上型の拡大鏡は、支援物資として送られたもの。
[画像のクリックで拡大表示]

 雄勝無線が同地区に新工場を完成させたのは2012年12月6日のこと。震災直後は、協力会社の堀尾製作所の工場の空きスペースの一角を借りてしのいだ。設備や治具をかき集め、2011年3月29日に操業を再開した。それから1カ月ほどして、石巻市内の鹿又地区に休眠工場を見つけ、そこを賃貸して2011年5月10日に稼働させた。

 その後、雄勝無線は堀尾製作所と共同で、被災企業の施設や設備の復旧を支援する「中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業」(いわゆるグループ化補助金)に応募、2011年10月末に採択内定の連絡を受けた。実際に着工したのは2012年7月ごろで、12月に完成した。

 雄勝無線の山下氏は、「完成した喜びよりも、『これからが大変』という気持ちの方が大きかった」と当時を振り返る。新工場の建設を進める傍らで、同業者の中には廃業を決める者もいた。工場建設のための資材費や人件費は高騰し、総工費は4000万円と当初の予定を大きく上回ってしまった。半分は補助金で賄えたが、2000万円は自前だ。しかも、土地代や工場内の設備費は別途用立てた。震災を受けた上に、大きな借金を背負うことになったのである。

 救いだったのは、13人の従業員が皆無事だったこと。しばらくは新工場を軌道に乗せることに精いっぱいだったが、「2014年夏ごろから、新しい取引先を獲得すべく営業活動を始めた」(山下氏)。宮城県内の自動車関連メーカーを回り、ようやく努力が形になる段階までこぎつけた。