「光あれ」と神は言った。19世紀末にエジソンが実用化した白熱電灯は、世界から夜をなくし、後に続く大量生産と消費の世紀を照らし出した。21世紀の光源はもっと大胆だ。自らを手にした人々を、神の座に押し上げようというのだ─。

 2014年のノーベル物理学賞が赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏に贈られます。関連原稿を某紙に依頼され、冒頭のように書き出しました。気恥ずかしくなり書き換えましたが、言いたかったことはこうです。青色LEDの発明は、光を自由自在に操る術を人類にもたらした。

 ノーベル賞の授与理由では、青色LEDが白色光源の実現につながり、世界の電力消費の1/4に及ぶ照明の消費分を大幅に削減できることを強調しています。ただし、LEDの貢献は環境負荷の低減に限りません。これから大きく伸びそうなのが、光の向きや照らす範囲、明るさや色彩を制御することで生まれる新用途です。例えば、雨粒や雪を避けて前方を照らすヘッドライトの開発が進んでいます。植物工場の光の制御は、もはや当たり前の技術です。

 3氏の中でもいち早く取材に応じていただいた中村氏は開発中の「すごいレーザー」の応用例に新型プロジェクターを挙げます。高出力のレーザーがあれば、明るい場所でも鮮明な映像を投射できます。家庭の壁面をはじめ、あらゆる面に映像を映せる時代が来そうです。他にも、アイデアがたくさんありそうな口ぶりでした。

 一方で光を受け止める側もまた、転機を迎えています。特集「デジタルカメラは枯れるのか」では、市場縮小が止まらないカメラの将来を考察しました。民生用から業務用まで、各方面に活路を探していきそうです。筆者自身は、プロのような写真を簡単に撮れるカメラを、十年一日、待ち望んでいます。写真の上手な友人は、カメラの設定を絶妙に変えて、一幅の絵と見まごう画像を日常から切り取ります。ずぼらな自分は、そこまで手をかけずに同じ品質の写真を撮りたいのです。

 理想の一枚を求めて、執拗なまでに中村氏を追うカメラマンの姿を見て認識を改めました。立ち上がり、膝をつき、時には寝そべる写真家の心に、撮影したい絵が浮かんでいるのは明らかです。それをそのまま撮像素子に写しとるため、彼が採った手段は、レンズの選択や撮影角度だけではありませんでした。ほとんど無意識のうちに動く手が、照明を点けては消し、位置や角度を変えて、光を意のままに操っていたのです。理想のカメラの実現は、光を統べる技の進化と表裏一体なのかもしれません。